[Novels]

【春色は、青だと四月の風は言う - 第2話 】
浩輔の日記01
――――――――――――――――――――――――――――−・
 4月7日(木)
 食パンをくわえた女子高生とぶつかって――さあ、何が始まる!?
 って、一瞬どきっとしたのになぁ……
――――――――――――――――――――――――――――−・

 人生って、どうしてこんなに予定通りには進まないんだろう。
 後輪がパンクしている自転車の前で、僕はもういやと言うほど繰り返し実感しているこの世の真理(に違いない)に嘆いた。
 今日は入学式だというのに。
 本命である高校の受験日に盲腸を患って試験を受けられず、結果、その前に滑り止めとして受けていた私立高校に入学することになったとはいえ、高校は高校。新しい学園生活を前に、僕は胸をときめかせて、昨晩からすべての準備を整えていたというのに。
 なんで、パンクしてるんだろう。
 昨日までは、あんなに元気だったのに……。
 明らかに、ペコペコになっている後輪を恨めしげに眺めて、でも眺めてたってパンクは直らないし、自転車屋さんもまだ開いてないだろうと思ったから、仕方なく、学校まで走っていくことにした。
 僕はあまり体力がある方では無いから、本当は走りたくなんか無いんだけど。
 でも、入学式に遅刻することほど注目を浴びることって無いでしょう? 新入生が勢揃いしている体育館に、こっそりと(もしくは堂々と)入っていく勇気なんて、僕にはとてもとても……。だからって、式をサボる勇気も僕にはないし。とすると、残る手段は親に車を出して貰うか、タクシーを拾うか、走るかしかない。
 残念ながら、我が家に1台だけある車は、既に父さんが仕事に乗っていってしまった。
 タクシーには乗るお金がない。当たり前だけど、親に出して貰うわけにもいかない。
 幸い、用意周到である(はずの)僕は、今日は通常よりも早めに家を出ていたから、がんばって走れば、ホームルームにだって間に合うはずだ。マラソンの順位はいつも、後ろから数えた方が早いくらいだけれど、人間成せばなるのだという希望は抱いていたい。
 気持ちの良い春風の中を、学校に向かってひた走る。
 そのうち息が切れてきて、気持ちよかったはずの春風も、妙に温くて気持ち悪いとしか思えなくなってきたけれど、止まったら遅刻するので、なんとか走る。
 しばらくそうやって懸命に走っていたところで、中学からの悪友が自転車で僕の隣に並んだ。
「お前、何走ってんの?」
 怪訝そうな顔でそう言われて、見ればわかるじゃないか、走ってるんだよ。と答えようと思ったんだけれど、息が切れて言葉にならない。
「体力づくりってやつかー? まあ、確かにお前はもう少し、体力つけた方が良いだろうけどよぉ」
 大きなお世話だよ。どうせ僕は体力無しだよ。いいんだよ、その分勉強でカバーするんだから。
 朝陽を浴びて憎らしいくらいにきらきらしている悪友の金髪を睨み付けながら、僕は心の中で反論する。悲しいかな、やっぱり言葉を発する心肺機能的余裕はない。
 とはいえ。と、僕は思う。これは渡りに船というやつなのではなかろうか。自転車の二人乗りは道路交通法に抵触するような気がするけれど、背に腹は替えられない。
「乗せてくれ」
 吐き出す二酸化炭素と一緒にそう言いかけたその瞬間。
「んもががーーーーっ!!」
 ゴーッという低い地響きと、くぐもった、それでいて緊迫した声が、反対側から聞こえてきた。
 何事かと顔を向ける僕に向かって、声の主が急速接近してくる。
 スケートボードに乗った、黒い髪をなびかせる女の子。
 その女の子の口にくわえられているジャムのたっぷりついたトーストが、高速で僕に迫ってきた。
 即座に避けようにも、息も絶え絶えな僕。
 まるでストップモーションでも見ているかのように、一コマ一コマ流れていく状況。
 後方にすっとぶスケートボード。
 僕に向かって飛んでくる女の子。
 大きな衝撃に一瞬だけ視界がブラックアウトしてすぐに復活。
 女の子を胸に受け止め、転倒しながら見上げた青空を、真っ赤なジャム付きトーストが横切っていく。
 どさっ。と、地面に倒れ込む音と、べちゃっ。と、何かが潰れるような音が、同時に僕の耳に届いた。
 仰向けに倒れて、視界が上下逆さまになっている世界の中。
 綺麗な金色の頭にトーストをのっけた悪友の姿が見える。
「あ……」
 痛みなんかそっちのけで思わず呟く僕の目の前で、トーストは必死に頭から落ちまいとしがみつくかのようにへばりつきながら、しかし重みでずるずると、髪と顔を滑るようにずり下がり、やがてぼとりと地面に落ちた。
「…………」
「…………」
 ジャムの粘着力ってすごいんだね。
 辛うじてそう思う僕の上から飛び起きて、女の子が悲鳴を上げる。
「私の朝ご飯っ!」
「……てめぇ、言いたいことはそれだけかっ!!」
 自転車を蹴飛ばすように地面に倒して、女の子ににじり寄る悪友をみて、慌てて体を起こす。あちこち痛いには痛いけれど、怪我をしているほどでもなさそうだ。
 それよりもまず、この一触即発雰囲気を宥めなければ。
「落ち着け坂下」
「うっせぇ、邪魔すんなっ」
 胸ぐらを掴まれて、軽々と脇に投げ出される。ぶちっ。っと嫌な音がして、ボタンがきらりと光りながら灰色のアスファルトに転がる。
 ああ、まだ学校にさえもついていないのに、新しい制服はすでに、前も後ろもボロボロだ。いくら人生が予定通りに進まないと悟っていたとしても、ここまで予想範囲外の出来事は想定していなかった。
 泣きたい気分になりながら、悪友の怒り漲る背中をみやる。
 殴りかねない勢いで女の子に詰め寄り、しかし今にもこぼれそうな程の涙を目に浮かべている女の子に狼狽えて歩みを止める悪友に、ほっと胸をなで下ろす。(泣いている女の子に手を挙げられるほど、坂下は非道ではない)
 僕はのろのろと起きあがって、ジャムに心を傷つけられた悪友を宥め、朝食を失った女の子を宥め、二人を連れだって近くの公園に立ち寄った。
 桜が咲き誇る公園の水道で、ちくしょー冷てぇと悪態を付きながら髪を洗う悪友の姿を眺めながら、もう、式には間に合わないんだろうな。と、ひどく冷静に、諦観の念を持ってそう悟る。
 乱れていた息はすっかり落ち着いた。頬を撫でる風も、柔らかく心地よいものに戻った。
 ちらりと、涙を浮かべたまま隣たたずむ女の子を見る。
 風に揺れる、艶やかな黒髪。整った顔立ち。こんなに綺麗な女の子は初めて見たかもしれない。はっきり言って、すごく美人だと思った。
 呟く言葉が「私の朝ご飯……」で、抱えているのがスケートボードでさえなければ、僕は恋に落ちていたかもしれない。……ははは。
 食パンをくわえた女子高生とぶつかって――さあ、何が始まる!? って、実はあのストップモーションの中でさえ、一瞬どきっとしたのになぁ……。
 良いんだ。人生は予定通り進まないことになっているのだから。
 自分を慰めるように僕はそう心に言い聞かせて、遅刻は明らかとなった学校に向かって、3人、並んで歩いていった。

――――――――――――――――――――――――――――−・
 でも何で焼きたてパンコーナーのあるコンビニで、僕が彼女に食パン一斤を弁償しなければいけなかったんだろう。
 ……理不尽だ。
――――――――――――――――――――――――――――−・

←Back ・ Index ・ Next →