[Novels]

【春色は、青だと四月の風は言う - 第5話-01 】
祐希の日記02-01
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 7月4日(月)
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 正直俺は困っていた。
 PC横に置いてある、柔らかな桜色の布カバーが掛かった小さな手帳。これが、俺の悩みの種だ。
 ことの始まりは、木曜日にさかのぼる。
 俺と小島は、図書室での調べ物を終え、教室に戻るところだった。
 社会科の授業で宿題が出たのだ。夏休みの宿題が。……気の早い話だ。
 気の早い話だが、早々に出た物は片付けておくのが吉。というわけで、小島と協議した結果、放課後にやっていくことになった訳だ。
 で、まだまだ日の差し込む暑苦しい廊下を、教室に向かって歩いていた。
 もう少しで教室だなぁと思っていたら、向こうから猛スピードで走ってくる男子生徒がいた。俺たちは廊下の右側を歩いていたし、廊下だってそんなに狭い訳じゃない。すれ違いも余裕だろう。と、気にせず歩いていたのだが。
 ……その男子生徒は何をどう目測を誤ったのか、小島に激しくぶつかって、その反動で躓いて、激しくすっころんだ。
 ビターンと、バサっという二種類の派手な音を立てて、つぶれた蛙よろしく廊下に伸びたそいつは、しかしすぐさま立ち上がると、前方に放り投げた紙袋(でかでかと店名のロゴが入っているのはどうかと思う)を拾い上げると、一瞬だけ挙動不審な感じで(まあ、無理もないか?)こちらを盗み見てから、すれ違う前以上の猛スピードで走り去っていった。
「……痛そうだったな」
「音だけだと良いね……」
 そんなことを言いながら教室に入る。小島は体育の時間に使った水着を取りに。俺は、持っていくのが面倒だったから置いていった鞄を取りに。自分のロッカーから鞄を出して、持っていた教科書をしまおうとして。
「あ。俺、図書室に筆箱忘れてきた。取ってくる」
「一緒に行く?」
「いや、下駄箱反対側だからいい。ちょっとひとっ走りして取ってくる」
 言い置いて、図書室に向かって走り出した。図書室は二階。一年の教室は何故か三階。昇降口は当たり前だが一階なので、鞄を持って行けば、そこまでの無駄はない。
 派手に転んだ誰かさんの記憶はまだ新しいので、もちろん、足下には最新の注意を払って走る。
 すると。だ。
 手帳が落ちていた訳だ。廊下に。そう。後々、悩みの種になる手帳だ。
 可愛い色合いだったが、さっき誰かが派手に転けた辺りだったので、その人物のものかと思って拾い上げて、名前が書いてありそうな裏表紙をちらりと捲ってみたら、見慣れた丁寧な字で「N.Kojima」と書いてあった。
「小島のか」
 はた迷惑な男子生徒とぶつかった時に落ちたんだな。と納得して、変な誘惑がわき起こる前に鞄の中にしまった。
 ……思い返してみると、失敗の原因はこれだったんじゃないかと思う。
 開襟シャツの胸ポケットに入れとけば良かったんだ。そうすれば、もし俺が忘れていても、小島自身が気付いたはずだ。
 でも、その時はまさか、俺が小島にその手帳を渡し忘れるなんて思いもしなかったし、下手に目の付くところに持っていたばっかりにうっかり中身を読んでしまったなんていう事態だけは避けねばなるまい人として。と、思ったのだ。だって、見られたら、困ることだって、書くんだろう? 女子ってものは。よくわかんねーけどさ。
 というか、俺に言わせれば、そもそもまめにスケジュール帳だとか日記だとかを書いている人間の気持ちも、実は分からない。仕事柄、約束事の多いサラリーマンなら話は別だが、俺にはメモして置かないと忘れるような込み入った予定は存在しないし、こんなありふれた毎日で、わざわざ書き残すような日々も送っていないのだ。
 とはいえ、想像することはできる。人間、想像力というものは大切だ。
 俺は日記を書かないけれど、もし俺が日記を書いていたとしたら。……やっぱり他人に見られるのはごめんだ。スケジュールだってばれたくない。だってうっかり血迷って「エロ雑誌発売日」とか書いてないとも限らないだろう?
 ……で? 何だっけ?
 そう。だから、その小島の手帳を、うっかり読まないように鞄にしまって、図書室に行った訳だ。目的の筆箱は、俺たちが調べものをしていた机にきちんとあった。小島を下駄箱に待たせているので、早々に鞄にしまって(どうしてこの時気付かなかったのかと、思い返すと悔やまれる。くそ)図書室を出たところで、例の、派手な音を立てて転んだ男子生徒を見かけた。図書室の隣には司書室があって、その隣には社会科準備室がある。地図とか地球儀とかが置いてある部屋だ。多分、そこから出てきたんじゃないだろうか。やっけに周囲をきょろきょろと見回して、挙動不審なことこの上なく、妙に目にはついたが、まあ俺には関係の無いことだ。その後は特に気になることもなく、下駄箱で待っていた小島と合流して家まで帰った。
 ……何事もなく。そう。手帳を返すのを、すっかり忘れて。
 ところで、俺は基本的に置勉派である。
 教科書は重たいから教室に置きっぱなしで、家には持って帰らない。
 教科書を持って帰らないと言うことはどういうことか。
 家ではまず鞄を開けない、ということだ。
 水泳で使った水着は、濡れたタオルなどと一緒に専用の袋に入っているし、昼はパンを買うことが多いから、鞄の中身には用がないのだ。
 そして、当然ながら、学校でもまず、開けることはない。筆箱は出すけれど、いちいち中をのぞいたりはしない。
 ……だらだらと言い訳がましいこと書いて何が言いたいかというと。
 手帳のことを、本当に見事に、綺麗さっぱり忘れていたのである。
 次の日も、俺は手帳が鞄に入っていることを思い出さなかった。
 小島は、手帳を探していたのだろう。その日は明らかに元気が無かった。今ならわかる。手帳が見つからなくて困っていたのだ。
 が。小島は俺が「元気ないけどどうした?」って聞いても、曖昧に笑うだけで、手帳のことは言わなかったし、情けないことに、俺も手帳のことを思い出せなかった。
 そしてそのまま土日が過ぎて。気が付いたのは今日だ。珍しく母親が弁当を作った。それを鞄に入れようとして、見慣れない桜色の物体と再会したと言うわけだ。
 ……気付くのがおせぇんだよ! 今更どの面下げて返せばいいってんだよ!
 そんな、4日も経ってから返すなんて、明らかにおかしいじゃないか。
 中は読んでない。断じて読んでない。マギー審司に誓ってもいい。
 けど、誰がそれを信じる?
 かといって、今日偶然見つけたなんて、そんな言い訳も不自然過ぎる。
 どーしたらいいんだ。

 で、俺は今、困りまくって途方に暮れている訳である。
 ……マジで、どーしたもんかね?

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