[Novels]

【水饅頭と月にうたう】 其の一
一、ローレライとヴァンパイア

 夜の闇に、白いスカーフが緩やかになびく。
 闇よりも深い漆黒の長い髪が、幽かな月明かりを受けて浮かび上がる。
 艶やかに光る紅い唇に無表情を讃(たた)えて、華南(かなん)は冷たく輝く長い針を、ゆっくりと男の首筋に突き刺した。
 小さなうめき声とともに薄紫の靄(もや)を纏って、男から神が剥がれる。
 華南の隣で、それまで静かにたたずんでいた夜風(よるかぜ)が、小さな声で歌を紡ぐ。
 夜の街に、囁くような歌声が響く。歌は風を呼び、華南と夜風のセーラー服を小さく揺らす。そして、剥がれた神は細かな光の破片となって、ゆっくりと空へ登っていった。

 ◇

「昨日の夜も出たらしいぜ」
「……何が?」
 教室に現れるなり、キラキラを通り越してギラギラとその瞳を輝かせながら話しかけてくる陽一に向かって、大きなあくびをかみ殺しながら正晴(まさはる)は尋ねた。
「決まってるだろう? ローレライとヴァンパイアだよ! 夜な夜な現れる妖しくも美しきセーラー服の乙女だよ! わかってるくせに、そんなに俺に語らせたいのか? いいのか? 語るぞ? 言っとくけどな、ホームルームが始まったって止まらないぞ?」
 まくし立てられて、正晴はその整った顔にあからさまにしくじったという表情を浮かべた。
「あー、俺が悪かった。わかっていたのに、面倒くさがっておざなりな対応をした俺が悪かったよ。だから、語るな……」
「それはそれで、冷たい言いぐさだなぁ」
 力無く陽一の宣言を却下する正晴に、下唇を突き出して不機嫌さをアピールしてみせながら、しかし本心はさして気にしている様子でもなく、陽一は椅子に腰を下ろす。そして、
「男のロマンだろ? 良いよなぁ。俺も誘われたいっ」
 拳を握りしめて、熱くそう訴える。
「実物はすっごい不細工かもしれないぞ?」
「いや、それはない。遠目だったけど、確かにあれはモデルばりに美少女だった。アイドルなんて目じゃない美しさだった!」
 ――アイドルに対する暴言だろう、それは。
「俺は今でも鮮明に思い出せるぞ。細い影、月明かりに栄える白い肌、そして血に濡れたような紅い唇! ああ、俺の愛しきヴァンパイア!」
 遥か彼方を見るような目で語る陽一を横目に見ながら。
 ――結局、語るんじゃないか。
 正晴はため息とともに、一度はかみ殺したあくびを解放した。
 紫の瞳のローレライ。紅い唇のヴァンパイア。
 最近耳にする機会が増えた、都市伝説風の噂である。
 白いスカーフに、闇色のセーラー服を纏った美しい少女二人組。夜な夜な街に出現しては、ローレライがその美しい歌声で人を暗闇へと誘い、ヴァンパイアが導かれた人間の首筋から生き血を吸うのだという。
 ――どういう連係プレーだよ、それは。
 ……だいたい何でローレライやヴァンパイアがセーラー服なんだ。
 正晴は噂を聞く度に、呆れた笑いを浮かべてしまう。
「何を言う! セーラー服姿の美少女ヴァンパイア。これ以上のロマンがあるか?」
 もともと好奇心旺盛で、ハマるととことんタイプの陽一にとっては、何か心に訴えるものがあるようだが、正直、正晴には興味を持てなかった。持ちたいとも思わない。
「俺は、これはもう恋に違いないと思うんだ……」
「やめてくれ」
 うんざりしてそう返すと、
「お前にやめろと言われる筋合いは無い!」
 きっぱり言い返された。
 胸ポケットの中で、メールの着信を告げて震える携帯に手を伸ばしながら、正晴は思わず苦い顔をした。

 北川正晴は、高校二年生で身長一七二センチメートルで細身で帰宅部である。
 同じクラスには、副委員長で三つ編み眼鏡で控えめ美人という一部の方々には非常に人気の高い望月早苗がいて、彼女とは幼なじみだったりもする。
 放課後、鞄の中身を机の中に移して帰りかけた正晴に、その早苗が声をかけた。
「もう行くの?」
 出席簿を胸に抱えて、無表情で正晴を見上げる早苗に、
「うん。望月はどうする? まだやることあるの?」
「これを職員室に置いてくるだけ。……待っててくれる?」
「いいよ。昇降口で待ってる」
「ありがとう」
 やはり無表情で足早に職員室へ向かっていく早苗の後ろ姿を見送りながら、正晴はなんとなく後ろ頭を掻いてみたりした。
 ――慣れないなぁ
 心の中で一人呟く。早苗はどちらかというと内弁慶なタイプで、学校の中と外とでは、随分と会話時の印象が違うのだ。昔からつきあいのある正晴としては、学校の中での大人しい早苗は、早苗そっくりの別人のような気がして、妙に緊張してしまう。……早苗にそのことを告げると、「北川君には言われたくないわ」と笑われるのだが。
「望月と帰宅か? いいよな、可愛い幼なじみがいて。しかもラブラブ?」
 いつの間にか背後に立っていた陽一が、恨めしげに見下ろしてくる。
「そんなんじゃないよ。家が近いってだけだろ」
「家が近いってだけじゃ、普通は一緒に帰らないだろ、高二にもなったら」
「……今日は、親戚のおばさんに呼ばれてるんだよ」
「ふうん? まあ、俺には愛しのヴァンパイアがいるからどうでもいいけどな」
「だったら絡むなよ!」
 もうすっかりパターンになった会話を交わしながら昇降口へ向かう。しばらくして職員室から戻ってきた早苗と合流し、陽一と別れ、正晴は学校を後にした。

 学校から地下鉄で四つほど移動したところに、本家はある。
 大通りを挟んで、商店やオフィスビルなどが立ち並ぶ賑やかな街の真ん中に、ぽつんと窪んでいる印象を与える空間があり、歩道に面して小さな石門が立っている。石門にはあまり耳馴染みのない宗派名が書かれており、辛うじて寺のようなものだとわかるが、竹林に挟まれた細く薄暗い道は足を踏み入れにくく、やはり、どこか街とは切り離された雰囲気を持っていた。
 正晴と早苗は、慣れた様子でその石門から中へと足を踏み入れる。
 街の喧噪とはかけ離れた静寂が、二人を迎えた。
「夜前も手堅い働き、大儀でしたね。華南(かなん)
 障子越しに柔らかな光射し込む広い和室。上座である正面に頭首である伯母、左手に母他数名の親戚が並ぶ中、華南と呼ばれた正晴は、恭しく頭を下げた。
「夜風(よるかぜ)も」
 続く頭首の言葉に、正晴の隣で早苗も静かに頭を下げる。
「悲しいかな、人の思いに捕らわれて絡まってしまう神は後を絶ちません。あなた方、神送りの巫女だけが、我らの神を救うことができる。そのこと、努々忘れることなく励みなさい」
「御意に」
 正晴と早苗は、頭を下げたままでそう答えた。
 神送り。
 神剥がしの巫女と、歌送りの巫女によってなされる、古より続く儀式である。
 送られる神はもともと、一般的には妖精だとか妖怪だとか八百万の神と呼ばれていたものたちだ。本来ならば人間と関わることのない存在だが、どういうわけか稀に、人間に絡まって剥がれなくなってしまうことがある。絡まっても互いに影響がなければ巫女も神送りも必要ないのだが、不幸なるかな、絡まった神は人間とともに衰弱しやがて消滅してしまう。
 ――俺の知ったことではないのだけれど。
 神剥がしの巫女である正晴は、実はそう思ったりもしているが、巫女の血筋に生まれてしまった以上は、運命と諦めるより他にないこともよくわかっていた。
 ――だいたい、問題はそこじゃない。
 ひんやりと冷たい畳の上に正座したままで、頭首たちの世間話的な会話を聞き流しながら、正晴は思う。正晴にとっての問題は、神剥がしの行為そのものではなく、それを行う環境にあるのだ。
 神剥がしの巫女と歌送りの巫女は、二人揃って神送りの巫女と呼ばれる。それぞれに「華」と「風」を字に持ち、毎夜、街に出ては絡まった神を探す。……定められた式服を着て。
 そう。紫紺色のセーラー服に、真っ白のスカーフという出で立ちで。
 ――最悪だ。
 最近流れ出した噂と、それを熱く語る陽一の姿を思い出して、思わず眉間に皺を寄せる。
 神送りの巫女は、女でなければならない。
 代々そのように伝えられ、受け継がれてきたし、実際、巫女の一族は女系一族の傾向が強く、今まではそれで困ることもなかった。だから、代々伝わる神送りの儀式も、女性が行うことを前提として継承・進化してきたし、式服も、時代を経て紫紺の着物からセーラー服へと変遷を遂げたのだ。
 しかし、今期の巫女候補に女は一人しか生まれなかった。その唯一の女が早苗で、彼女は早々に歌送りの巫女としての教育を受けた。
 絡まった神は、剥がさなければ送れない。剥がした神は、歌送りをしなければ意味がない。
 神送りの巫女は、二人揃わなければその役を成さない。
 一人で剥がし、送ることも、やろうと思えばできるのかもしれないが、しかしその両方の能力を引き継ぐものは、未だ嘗て現れたことはなかった。
 そして、苦肉の策として、男子でありながらも優秀な神剥がしの能力を持つ正晴が巫女に選ばれたのだった。
 神を送る事に対して、思うことは何もない。
 意味があるとも思わないし、意味を考えようとも思わない。
 もともとこれといって趣味を持たない正晴にとっては、神剥がしを行うことによって得られる僅かばかりの報酬と、そして、早苗とともに過ごす時間さえあれば良かった。
 ――セーラー服でさえなければ。
 返す返すも、それだけが恨めしくてならない。しかも運の悪いことに、陽一には姿を目撃されてしまっている。その上、気に入られてしまっている。正体がバレて笑われる方がどれだけマシだったことだろうか。
 ――あと二年。乗り切れ、俺。
 巫女の任期は十四歳から十八歳までの五年間だけだ。年齢とともに神技の能力が弱まるからというのがその理由だが、それ以上にセーラー服姿が犯罪になるからだと正晴は思っている。そして、あながち間違っていないだろうという自信もある。ともあれ、あと二年乗り切りさえすればお役御免だ。幸い次の候補は順調に能力を身につけつつあるらしい。
 いかにつつがなく任期まで儀式をこなすか。正晴はそのプランだけを頭に思いめぐらしながら、どうでも良いけど早く話終わらないかな。と、足のしびれを感じながら心の中で愚痴をこぼした。


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