[Novels]

【水饅頭と月にうたう】 其の三 - 01
三、春の日射しと水饅頭の苗

 気を抜くと、すぐに襲ってくる睡魔を懸命に撃退しながら、正晴は午前中最後の授業を受けていた。
 ――水饅頭の苗、ねぇ。
 思いめぐらせる先は授業でも昼ご飯でもなく、昨晩手に入れた薄緑色のひょろっこい苗。
 今まで、ペットはもちろん、観葉植物さえも育てたことのなかった正晴に、突然科せられた使命について考える。
 ――枯らせたら、怒られるんだろうか。それとも、泣かれるんだろうか。……っていうか、何で俺が育てることになってるんだ。
 あの後、一度正晴の家に寄った早苗は縁の欠けたマグカップに苗を移し替えながら、化粧を落とし部屋着に着替えた正晴に言った。
「うちに置いとくと絶対にあの人がひっくり返すから、北川君の部屋で育てても良いよね?」
 良い? という問いかけではなく、良いよね? という念押しであった。学校の外だと、そういう性格なのである。早苗は、昔から。
「……良いけど。俺、植物なんか育てたことないから、あの人がひっくり返すのと同じくらいの確率で、枯らすかもしれ」
「枯らさないでね」
 言葉を最後まで言い終わらないうちに、決して大きくはない声で、しかし、きっぱりはっきり、そう言い切って笑顔を浮かべる。反論を挟む余地など存在しようもない。ナチュラルに女王様である。そんな早苗に正晴はこっそりため息を飲み込む。始終そんな感じの性格であったなら、正晴も早苗に惚れたりはしていなかったのかもしれないが、しかし、ある意味たちの悪いことに、早苗はフォローも忘れない。
「あの人に壊されないために、置かせて貰うだけでいいの。私もマメに世話しに来るから」
 早苗が家にやってくるということは、それだけ一緒にいる時間が増えると言うことであり、正晴にとっては嬉しい話である。気が付けば「そういうことなら」と、あっさり承認してしまっていた。
 ちなみにあの人というのは早苗の母親のことである。お掃除が大好きで、常に部屋をあちこち片づけて回るのだが。……下手の横好きとでも言うのだろうか。かなりの確率で、棚や机の上のものを袖などで引っかけて壊すのである。おかげで、早苗の部屋の小物はすべて引き出しかクローゼットにしまい込まれている。そんなあの人でも、昔は優秀な神剥がしの巫女だったというのだから人の適性というものは本当にわからない。
 麗らかな春の日射しと、長閑に響く教師の声が揃って睡魔を召喚し続ける脳みそで。
 ――まあいいや。せっかく口実があるんだから、家まで望月と一緒に帰ろう。
 正晴は非常に前向きな結論を導き出して、浅い眠りに入った。
「正晴、お前昼飯食わない気か? それとも何か? 夢の中で既に満腹か?」
 夢らしきものの中を漂っていた正晴を、陽一の声が現実に引き上げる。
「んー?」
「お前、昼飯パンなんじゃねーの? 早く行かないと買いそびれるぞ?」
 弁当片手に言う陽一の言葉に我に返った正晴は、慌てて購買へ向かった。
 既に人だかりができている売り場で、人の流れに流されるまま、パンを手に触れた物から適当に三つと、紙パック入りのジュースを買って教室に戻ると、陽一はしきりに携帯を弄りながら、それでも弁当を開かずに待っていてくれていた。
「わるい」
「べっつにぃ?」
 冗談っぽく返して携帯を閉じ、まじまじと正晴を見つめる。
「それにしたって正晴、号令も聞こえないほどの熟睡って、ちょっと寝不足が過ぎるんじゃないのか?」
「んー。そうかも」
 このところ、毎晩連続で神剥がしを行っている。寝不足というわけではないが、精神的に疲れているのは事実かも知れなかった。
「寝不足になるまで、何をしている事やら?」
 探るような目で見られて、ひそかに焦る。カマをかけられているわけではないだろうが、ヴァンパイアの件がある分、油断はできない。
「ま、何してようと個人の自由だし。お前の場合は普段が普段だから、ちょっとくらいは人生に干渉事があった方がいいかもな」
 弁当箱を開き、いただきますと手を合わせながら、陽一はそんなことを言う。
「普段が普段って?」
「お前、日々が結構色々、無気力じゃん?」
「……そうだっけ?」
 紙パックにさしかけたストローから視線をあげて、眉をひそめる正晴に、
「そーだろ? 特に趣味があるわけでもなく。望月とラブラブするでもなく」
 豆ご飯から箸で丁寧にグリーンピースを避けながら陽一が続ける。
「俺みたいに、ヴァンパイア愛! とかもないし?」
「あってたまるかよ」
 即座にそう切り返して。
 ――無気力、ねぇ。
 たこ焼きパンとかいう謎のパンを貪りながら、まあそうかも知れないと正晴は思う。
 確かに、人生に対してもっと積極的に何かを思い行動するタイプであったのなら、神剥がしの件はわからないにしても、少なくともセーラー服は着ていなかったに違いなかった。

「あ、すごい。昨日よりも大きくなってない?」
 出窓に置いてある水饅頭の苗を見るなり、早苗が浮かれた声を上げる。
「だね。しかも、外に向かって曲がって伸びてる」
「こうやって太陽に向かって伸びてるのをみると、植物も生きてるんだなぁって思うよね」
 さらりと言われて、正晴は一瞬言葉に詰まる。
「これ、やっぱり向き変えておいても、太陽の方向くのかな?」
 すぐに話が次に進んだことに軽く安堵しながら、
「どうだろうね。向き、変えておいて見ようか」
 マグカップをくるりと回して、曲がった苗の頭を室内に向けた。
 人間の生死にすら意味などないというのに。植物が生きているかどうかなんて、正晴にとってはそれこそ興味のない話だ。けれども早苗はなんだかとても楽しそうだし、水饅頭の苗が生きているという事に対して、喜びさえも感じているように見える。
 ――なんだかな。
 あまり意識したことのない感情がぼんやりと胸の中に漂っているような気がして、正晴は心の中で呟く。
 春の日射しの中で、双葉のみずみずしい薄緑と、早苗の柔らかな栗色の髪がキラキラと眩しく輝いて見えた。


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