[Novels]

【水饅頭と月にうたう】 其の三 - 02
 カーテンの隙間から朝の光が射し込むベッドの上で、目覚まし時計のアラーム音に起こされた正晴はゆっくりと体を起こした。まだぼんやりと霞みがかる頭のままで、大きくのびをする。
「眠い……」
 脳みそを覚醒させるべく、わざと声に出して言ってみる。
 しばらくそのままぼんやりとしてから、覚悟を決めてのろのろとベッドから降り、冷蔵庫へ向かう。寝ぼけまなこで冷蔵庫からミネラルウォーターの二リットルボトルを取り出し、直接喉に流し込みながら何気なく出窓に目をやると、昨日、曲がった先を室内に向けておいた水饅頭の苗が、勢いよく反り返り、しっかりと太陽に向かって双葉を広げていた。
 ――うわ、何か、気持ち悪……。
 思わず目をそらしてから、朝、少しでいいから水をかけてあげてね、と、早苗に言われていたのを思い出し、苗のもとに近付く。
 ひょろりと長い茎が、見事に外に向かって曲がっている。昨日、確かに室内に向けたはずであり、朝陽なんて昇ってからまだ1時間くらいしか経ってないはずである。
 ――じっと眺めてたら、動くのがわかったんだろうか……って、そんな訳ねーだろ。
 自分の考えに一人でツッコミを入れながら、ペットボトルの水を無造作に、鉢植え代わりのマグカップに溢れない程度に流し込んだ。



 月明かりが降り注ぐ夜の街を、華南と夜風は今日も走り抜ける。
 このところ頻繁に神送りの儀式をこなしている。夜、街を見回りに出るたびに、相当な確率で人に絡まってしまった神に遭遇するのだ。遭遇してしまった以上は神を剥がさなければならない。いくら早苗と一緒にいられるとはいえ、さすがの正晴も疲れでイライラが募ってきていた。
 おかげで、昼も夜も眠たくて仕方がない。
 水饅頭の苗は順調に大きくなってきていたし、早苗も毎日学校帰りに正晴の家によっては、水饅頭をカップから鉢植えに植え替えたり、霧吹きで水をかけたりと世話をしているようだったが、正晴は疲れと眠気で、せっかくの早苗との時間も楽しめずにいた。それどころか、遅刻ギリギリに家を出るせいか水饅頭の苗に水をやり忘れ、放課後早苗に睨まれる始末だ。
 ――鬱陶しい。
 夜の闇に、神針が黒く浮かび上がる。無表情で神を剥がし、夜風の歌に送られて空へと登りゆく光のかけらを見上げながら、
 ――二度と戻ってくんな。
 正晴は心の中で吐き捨てる。
 その日、二体目の神を送り終えたところで、
「天に帰った神は、どうなるんだったっけ」
 紫色の瞳に月の光を映して、早苗がぽつりと呟いた。
「本家の話だと、また生まれ直してくるんだそうよ」
 肩に掛かった髪を優雅な仕草で背中に流しながら、正晴は華南として答える。
「そっか。そう、だったね」
 濃紺の夜空に、街の光を反射して雲が白く浮かび上がっている。
 それを見上げ、ゆっくりと目を閉じる早苗の横顔には、何かに祈りを捧げているかのような、穏やかな表情が浮かんでいる。
 早苗が空に、何を思っているのか。正晴にはわからない。
 毎晩儀式をこなしているという条件で言うならば、早苗だって同じく相当疲れが溜まっているはずであるが、彼女が疲れたとぼやいているのは、未だ聞いたことがない。
 ならば、天へと送った神のことを考えているのだろうかと、想像することはできるけれども。具体的に何を思っているのかについては、まったく思い至ることができなかった。
 天へと送った神が、本当に生まれ直してくるのかどうか。それは正晴のうかがい知るところではない。本当は消してしまっているだけなのかもしれないし、それを認めないために、本家が自ら「生まれ直すのだ」と決めただけかも知れない。
 いずれにしても、生まれ直してこようがそのまま消滅しようが、やはり正晴にとってはどうでも良いことで。ただ、生まれ直してきた神が再び人間に絡まったりしていたら、それこそ色々と無意味だよなと、神針を袖にしまいながら正晴は思った。

 ――本気で、疲れた。
 そう広い範囲を移動しているわけでもないのに、どうして一日に三体もの絡まった神を発見しなければならないのか。
 部屋にたどり着き、式服姿のまま深いため息とともに壁にもたれる。
 毎年、春先になると増えるのは増えるのだ。変化の季節。人の心の不安定さが神を呼び、絡めるのかも知れない。
 ――人間の方をなんとかしないと、根本的な解決にはならないんじゃないのか?
 化粧も落とさず、ウィッグも外さず、スカートを纏った膝を抱えるようにして、その膝の上に頭をのせる。
 神送りの儀式は「神のため」という名目で行われる。もともと絡まってしまった神を救うための儀式だ。人間の救済は副産物。いわば結果論であり、目的ではない。
 なぜ、神は人の不安定な思いに絡まるのか。その理由と因果関係を解明しない限り、常に後手に回った活動しかできないことは明白だ。
 ――そこまで必死ではないってことか?
 疲れのあまり、普段考えないようなことまで考えてしまう。
 所詮は本家の道楽か。もちろん、正晴だって今まではそれで構わないと思っていた。所詮は五年間だけの巫女だ。その上、神の行方にも人の生死にも興味はない。
 しかし。こうも連日、神剥がしの儀式が続くと、剥がす行為そのものに対して嫌悪感に似た感情が湧いてしまう。端的に言ってしまえば、飽きたのかも知れない。疲れすぎて、面倒になっているだけなのかも知れない。
 ――なんかもう、色々とどうでもいい。何もかも、どうでもいい。
 さらりと床に垂れる髪の毛を見るともなしに眺めて、ため息をつく。
 何かを振り払うように首を振り、ふと顔を上げると、細い針の月が照らす出窓で水饅頭の苗が花をつけているのが見えた。
「いつの間に……」
 膝歩きで出窓に歩み寄り、苗をのぞき込む。
 薄暗い部屋の中で、淡い淡い薄紫の花弁を五枚綺麗に並べて、水饅頭の花が一輪、咲いている。蕾ができていたことにすら気づかなかった。
 歌送りの巫女である夜風の瞳の色によく似ている。剥がれた神が纏う靄の色とも、よく似ている。ひとひらの藤色の花。
 不思議と、尖っていた心の角が、細く射し込む月の光に溶けていく気がした。
 ――生きている、か。
 身を乗り出して出窓を開く。滑り込んでくる風に、水饅頭の花はゆらゆらと揺れた。
 穏やかに、風になびく花を見つめながら、正晴はいつしかそのまま眠りに落ちた。
 朝陽とともに、遅刻ギリギリに目を覚ました正晴は、自分が式服のまま化粧さえも落とさずに寝ていたという事実に焦り、かなり大慌てで身支度を整えて家を出ていくことになったが、水饅頭の苗に水をやることだけは、決して忘れなかった。



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