[Novels]

【俺に世界を救わせろ!】 vol.4

三、
「さぁて、と」
 仏間に置いてある化粧台の前に立ち、腕まくりをする。……とはいっても、もともと制服は半袖なので、気分だけ。
 帰りにマンガ喫茶で夕食をとり、漫画を読みふけっていたら結構な時間になっていて、慌てて家に帰り着いた俺は、制服を着替える間も惜しんで作業に入ることにしたのだ。
 あの後俺は、前田さんの勧めでオイルカッターとステンレス定規を購入した。上手く鏡に傷を付けるコツなどを丁寧に教えてくれた前田さんはその上、その二つを買った時点で予算が尽きた俺に、安いけれども精度は良いぞと言ってサークルカッターまで貸してくれた。店長前田さんはとても良い人だった。
 円を書けるサークルカッターと、円と円が交わる点を直線で結ぶ定規と、深くガラスに溝を入れられるオイルカッターがあれば正確な六芒星を描くことができる。
 これは密かな自慢だが、俺は実は手先が器用だ。技術や工作の成績も良い。キリキリ作業をすすめれば、予定の時間までには完璧な六芒星を描くことができそうだった。
 母親は今日も残業だ。プロジェクトが佳境だと言っていたから、おそらくあがりは二十七時だろう。帰ってくる頃にはすべてを終わらせることができるはずである。
 俺は気合いを入れて、合わせ鏡に挑んだ。俺自身吃驚するくらいの集中力を発揮したように思う。結果、ガラスの扱いは想像以上に難しかったが、なんとか午前二時前には作業を終えることができた。
 何度も描いた線をチェックする。歪みや欠けは無い。あとはこれを、上手く拳で打ち抜けるように祈るのみだ!
 携帯片手に、午前二時二十二分二十二秒を待つ。
 蛍光灯に白く照らされて、鏡の傷が時折キラリと光る。
 壁掛け時計が、やけに大きな音で時を刻む。
 携帯の時計が午前二時二十一分を記した。
 俺はごくりと唾を飲み込み、携帯電話で時報を確認する。無感情な女性の声と、無機質な時報の音が俺の緊張を高める。
 ピッピッピッ……
「午前二時二十二分ちょうどをお知らせします」
 ピッピッピ・ポーン…ピッピッ……
「午前二時二十二分……」
 打ち抜くのは、素手でなければならない。
 時報を聞きながら、意味もなく「はーっ」と拳に息を吹きかける。
 カウントダウン。息を詰める。
 一秒たりともズレてはいけない。
 神経が研ぎ澄まされる。
 すべての意識が、拳へと集まる。そして、
 午前二時二十二分二十二秒ジャスト。
「怪我しませんようにっ!」
 気合いを込めた叫びとともに、俺は思い切りよく鏡に拳を打ち付けた。

 キラキラと光を反射させながら、パラパラと六芒星の三角片が床に散らばる。その瞬間、わずかに合わせ鏡が波打つように七色を帯びた気がした。
(出るか?)
 瞬きもせずに、鏡を凝視する。
 が、鏡はその後何の変化も起こさなかった。
「何だよー、期待させんなよなぁっ?」
 ガラス片こそ刺さってはいないが、破片で切ったらしく拳からは血が出ている。
(あーもー、まったくもって怪我し損だぜ)
 がっかりしながら、床に散らばった破片を拾う。
 何か落ち度があったのだろうか。日本の標準時間ではダメだったのか。って、それをいったらそもそもあの噂の時間は何を基準に……。そんなことを考えてから、俺はふと我に返ってため息をつく。
 要するに、噂は噂でしかなかったと考えるのが、一番打倒であり自然なのである。
 悔しい気持ちを胸に抱きながら、破片をすべて片づけて仏間を後にし、洗面所で血の付いた拳を洗う。
「くっそー、やっぱり何だか納得いかねぇ! 俺の二千百三十円……」
 思わず今日の出費を漏らしながら、その二千百三十円払って買った工具類を取りに仏間へ戻ったところで、俺は突然目の前に現れた人影に、驚いて足を止めた。
(おおっ?)
 蛍光灯の明かりの下に、上半身裸の女が立っている! ……でもペチャパイ。つーかむしろペッタンコ。言うなれば壁。なんだか俺、とってもガッカリ。というか、誰だこれ。
 愛嬌のある黒く大きな瞳に、流れるような黒い髪。裸に目を引かれて気づくのが遅れたが、背中には黒い羽が二対ゆらゆらと揺れている。蝶々の羽ならば美しいのかも知れないが、残念ながらトンボを思わせる色気のない羽だ。誰というよりは、何というべきか……、あ、もしかしてマジで天子さまだったり?
「お前が馬鹿だな?」
 俺の思考を遮るかのように、羽の生えた女(だと思うんだが、何分ペッタンコなので保証はできない)が、愛嬌のある顔には似合わない不遜な態度でそう言った。
「初対面で失礼だな。俺は羽の生えたペッタンコに馬鹿呼ばわりされる覚えは無いぞ」
「今時、こんな召喚方法を実行してみる人間が、馬鹿でなくて何なんだ?」
 そんな馬鹿な召喚方法で呼び出されているお前は何なんだ。
「そ、そういう決まりなんだから、仕方がないだろう」
 俺のツッコミを感じ取ったかのようにペッタンコが言う。
「……ひとのことを、ペッタンコと呼ぶな」
 人の心を勝手に読むなよ。
「よ、読めてしまうものは仕方がないだろう」
 僅かに顔を赤らめて反論する。なんだかとってもツッコミに弱い天子さまだった。
「で?」
 何かを誤魔化すようにコホンと咳払いをして、ペッタン……天子さまが言う。
「は?」
「さっさと願いを言え」
「あー……」
 そういえば、結局具体的な願いごとを考えていないままだったことに気づく。
「おい、馬鹿」
「馬鹿って言うな」
「馬鹿だろう! お前、願いがないのに呼び出したのか!」
「煩いなぁ。あるけどわかんないだけだろ!」
「なんだそりゃ」
「何かがしたいんだよ! でっかいことをさあ! しかも若いうちに。でも殺人とかは嫌だ。面倒だし。その後の人生棒に振る気はないから、安全パイを踏んだまま、どでかいことがしたい! 若気の至りで済むうちに」
「最後のひとことだけが、やけに老けてるな」
 悟っていると言ってくれ。ついでに、自分が死んで英雄になるってのも嫌だ。生きてなければ意味がない。
「ふ〜ん?」
 黒いトンボ羽を左右バラバラにゆらゆらと動かしながら、ペッタン……天子さまは何かを考えるように俺を眺める。
「でかいってのは、どのくらいを言うんだ?」
「そうだなぁ。ひとまず、一躍有名人。世界、もしくは日本中の誰もが俺を知っている。しかもみんな俺のことが好き。って感じ?」
「……何だか寂しいな、お前」
 煩いよ。っつーか大きなお世話だよ。いいだろ別に人が何望んだってさぁ!
「じゃあ。まあ、それで」
「は?」
 天子さまは一人だけ勝手に納得し、
「勇者さまご案内ー」
 どうでも良さそうな口調でそうひと言。
「はぁ?」
 訳がわからない。ちっとは説明しやがれこのペッタンコ。
 そう心の中で悪態をつく俺の前で、トンボの羽が小刻みに震えた。
 途端に、視界がゆらりと歪む。強烈な目眩に襲われて、刹那、足下の感覚が消え失せた。
 ゴォッと音を立て突風が駆け抜けてゆく。
 体の表面がすべてこすり取られるような不快感が身を包む。閉塞。そして突然の開放感。

 すべてが収まり目を開くと、そこはガラスらしきもので作り上げられた、大きな神殿の中だった。


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