[Novels]

【俺に世界を救わせろ!】 vol.5

四、
「お待ちしておりました」
 眩しいほどの光が降り注ぐ広い神殿の中、柔らかそうな、白いシンプルなドレスに身を包んだ縦巻きロールの女が、とろけるような甘い笑顔で俺を迎えた。
 思わず口元がゆるむ。髪型は少しおかしいが、顔はとっても可愛らしい。
 って、にやけている場合ではなかった。ここは一体何処なんだ。
 周りを見渡してみても、光を乱反射する無色透明の空間と、上が見えないほどの大きな柱が立ち並ぶだけでさっぱりここがどこなのかわからない。それどころか、視線を巡らせていると目に飛び込んでくる光でくらくらしてくる。
 俺は一度目を閉じて呼吸を落ち着けてから、今度は足下に目を向けた。
 なんだろうか。どこかで見たような三角のガラス片が無数に散らばっている。
「勇者さま?」
 耳に心地よい、控えめな声に視線を上げる。
 と、縦巻きロールの細く小さな手の甲から、見慣れた感じで血が流れているのが見えた。
 この破片とその拳の傷は、もしかして。
「……あんたも馬鹿か」
 思わず呟くと、彼女は深く頷いた。
「世界の危機なのです。どんなことでも試さずにはおれません」
 薄い茶色の瞳が、強い意志の光を宿らせている。なんだか、俺なんかよりもずっとマジそうだ。改めて周囲を見てみると確かに、生半可な根性では無いらしく、数え切れない程の合わせ鏡が無惨に砕かれて転がっていた。
「六芒星にうち砕くのに、長い時間を要してしまいました」
 神妙な面もちで、そんなことを言う。
 ……切り目入れずに、自力で打ち抜いたってことだよな。この人、マジすげぇ。
 あまりのことに感心していると、彼女はせかすように俺の手を引っ張った。
「召喚に時間をかけてしまったのであまり余裕がありません。はやく、こちらへ」
「え、ちょ、なに?」
 折れそうなほど細く、かすかにひんやりと冷たい手の感触に戸惑いながらも、手を引かれるままに足を勧めていく。しばらく歩くと、透明な細い廊下の左右に一つずつ、布団二枚分くらいの広さをした小さな水槽が地面に埋め込まれている空間へと出た。
 のぞき込むと、少しだけ濁った水の中を、キラキラと光る楕円形の小さなガラス玉が浮いているのが見える。
「世界魚《せかいぎょ》です」
 彼女がガラス玉を指さす。
「せかいぎょ?」
 ぎょって、魚? 頭の中で漢字変換させながら目を凝らすと、ガラス玉だと思っていたものはなるほど確かに金魚ほどの大きさをした魚だった。
「彼ら世界魚の背には、一匹ずつそれぞれに、世界が乗っているのです」
 なんだか規模が大きいんだか小さいんだかよくわからない話になってきた。ゆらゆらと水槽の中を漂っている魚の、その背中を睨むように凝視する。そういわれてみれば、魚の背中に黒っぽいカサブタのようなものが乗っかっているように見えなくもない。
「世界魚《せかいぎょ》は、世界槽《せかいそう》の清らかな水の中でしか健康な生命を維持することができません」
 悲しみに満ちた声が、俺の耳に届く。
「けれども、この世界槽はもうだめです。古くなりすぎた。このままでは世界魚は弱っていく一方です。そうなれば、街も……」
 濡れた瞳が俺に向けられる。
「世界魚は自らの力で世界槽を移ることができません。ですから勇者さま、どうか……」
 この展開はもしかして。というか、まさか。
「この世界を、世界魚をすくってください」
 うっわー、本当にそういうダジャレっぽい展開なのか。なんだか盛り上がりにくいなぁ。
 思わずやる気のない顔でため息をつくと、その瞬間、彼女の瞳にうるうると涙がたまっていくのが見えた。
「え、あ、いや、ちょっと……」
 うろたえたところですぐに気の利いたフォローの言葉など出てこない。どうしたらいいんだ。涙は今にも瞳からこぼれ落ちそうになっている。うわ。待って、待って。泣かれると困る! 本能的に困る!
 取り乱す俺の前で、しかし彼女はきゅっと唇をかみ締めると、すんでのところで涙を堪えた。
「お願いします。どうか、救いを求めている人々のために」
 まっすぐ俺を見つめたままで、ゆっくりと手を前に差し出す。彼女の掌から柔らかな光があふれ、俺の体を包み込んだ。
 世界が揺らぐ。温かく、心地よい揺らぎだ。揺らぎはすぐに納まり、やがて足元に、小さな家々の並ぶ寂れた町並みが見えた。
 宙に浮いている。俺はその高見から、足元に広がる街と、窓辺に立ち天に向かって祈りをささげていると思しき人々の姿を見下ろしている。
 と、指を組んで祈っていた一人の女性と目が合った。どうやら向こうからも俺が見えているらしい。悲痛な面持ちでひたすら祈りを捧げていたその顔が、みるみるうちに希望に満ちていくのがわかる。その女性は、思わずと言った感じで口元を覆うと、街の人々に向かって喜びの声を上げた。
「守護神さまが、守護神さまが勇者さまをお呼びになったわ!」
 途端に、家中の窓という窓、扉という扉から人々が姿を現す。
「おお、神よ……!」
「勇者さま……」
 歓声があがる。希望と期待に満ちた瞳が、俺を見上げる。
 こ、これは、なんか。いいかもしれない。
 じわじわとテンションが上がってくるのがわかる。今なら俺は、世界征服なんてものをしたがるヤツの気持ちがわかる気がする!
 俺が求めていたものは、まさしくこんな感じの高揚感だ!
 心地よい光が体を包む。緩やかに解けていく光。そして再び俺は透明な神殿へと戻る。
 立て巻きロールの彼女の、変わらず真剣な瞳が俺を見つめている。
 なんかマジで盛り上がってきた。やってやるぜ、やってやるぜ、やってやるぜ!
 いいだろう。俺に世界を救わせろ!
 と、盛り上がってはみたものの、しかし、具体的にはどうやって?
「世界魚を、あちらの世界槽に移していただければいいのです」
 廊下を挟んだ反対側の水槽を指差す。
「うん。それはだいたい予想ついてたけど、どうやって?」
「手で」
「……おい」
「世界魚の背中には、彼らの住む町があります。くれぐれも、つぶさないように。大きな衝撃も危険です」
 ……簡単に言ってくれるよなぁ。
「ひとつ、例をお見せします」
 目を閉じて、今度は両手を前に差し出す。ゆっくりと光があふれ、両手で包めるほどの球体が次々と、合計で七つ姿を現した。色とりどりの球体には、それぞれに街の光景が映し出されている。定期的に時間をかけて、ゆっくりと映像が映り換わっていく。どうやら監視モニターと同じような役割をしているようだ。
 ふわふわと宙に漂う球体のうち、彼女は濁った灰色の球体を指し示す。
「あの町はもう死んでしまいましたから、壊れてもさほど問題ありません」
 言って一瞬だけ辛そうに目を閉じる。灰色の球体には、錆びれ崩れた廃墟が映し出されていた。
「見ていてください」
 彼女はドレスの胸元から三角形のガラス片を取り出すと、ゆっくりと水槽の中央に向かって投げる。破片は大きく弧を描き、ぽちゃん、という低い音とともに水柱を立てる。
 水柱の中央で、世界魚がきらりと光った。
 刹那、灰色の球体が指先で弾いたような金属音を立てた。
 驚いて見ると、球体に映し出されていた廃墟の画像が一瞬大きくぶれ、次の瞬間、廃墟は、ぐしゃりと見る形もなく潰れた。
「うっはー……」
 思わず顔が引きつる。
「すくってください」
 静かに。けれども有無を言わさぬ口調で。
「わかったよ」
 せっかくだからな。救おう。文字通り、金魚すくいだな。まかせろ。
 俺が望んだことだ。必要になれば俺だってそのくらいの覚悟はできる。
 ズボンの裾を太股まで引きあげて靴下を脱ぐ。気合いを入れるべく腕まくりをして――いや、もちろんもともと半袖な訳だが。俺はゆっくりと水槽に足を入れた。
「うわ、なんか、ぬるぬるするんだけどっ」
「それが世界槽が古くなった証です」
 そ、そうかー……。これ、滑って転んだりしたらそれこそ一巻の終わりだろうなぁ。
 ゆっくりと、慎重に足を進める。目を凝らし、世界魚を探す。時折光を反射して魚自体がきらりと光るので、世界魚の位置は比較的すぐに見つけることができた。
 水面を波立たせないように細心の注意を払いながら、世界魚の背後に回り込む。
 息を殺して、俺はゆっくりと両手を水の中に差し込んだ。
 魚の下に手を回し、……手から零れる水の流れにのって、世界魚も一緒に逃げてゆく。
「む……」
 魚の下に手を回し、やっぱり逃げられる。
 ダメだ。この方法では埒があかない。もっとスマートに、きちんと、すくわねば。
「なぁ」
「なんでしょう?」
 廊下にぺたりと座り込んだ体勢で、彼女はきょとんと首を傾げる。縦巻きロールの柔らかい髪が、ぽわりと肩から落ちた。
「何かないの? 柄杓みたいなヤツとか」
「……残念ながら」
 希望も虚しく、あっさりと首を振られる。
 仕方がない。濡れた手をズボンで拭いてから静かに水槽の縁に腰掛けて、何か持ってないかなぁと、ポケットを漁る。
「お?」
 右ポケットに何かある。引っ張り出してみると、それは無造作に畳み込まれたA四用紙だった。そうそう、返ってきたテストだ。赤点のな。このやろう。
 それからしばらく胸ポケットから尻ポケットまでくまなく探しては見たが、出てきたのは結局テスト用紙だけだった。
 ひとまず広げて、しばらく眺める。さすがにこのままでは使い物にならない気がする。
 思い出せ、俺。
 そう、紙コップの作り方、だ。クラスの女子が作っていたのを俺は見たはずだ。
 どうやって折っていた? すごく簡単に折っていたはずだ。
 紙を睨んで考える。考える。考える。……考えていても先に進まない気がしてきた。落ち着け、俺。まず、わかっていることから始めよう。A四用紙は長方形だ。折り紙は正方形だから、まず正方形に切ろう。
 あ、その前に、万が一失敗した時のことを考えて、予め半分にしておこう……。
 いそいそと用紙を半分に折って、爪でしごいてペリペリ引き裂く。なんだか楽しくなってきた。
「んーで、下辺を右辺にあわせて折って、重ならない部分を切り離して……っと」
 ちょっと曲がったけどまあいいや。それっぽくはなった。あとは、コップの折り方を思い出すだけだ。
 脳みその隅をのぞくような気分で視線を動かしていると、やっぱり廊下に座り込んでこちらを伺っている彼女の姿が目にとまった。
「そういえば、あんたは水槽に入らないの?」
 彼女は可愛らしくふるふると首を振る。
「濡れるから嫌です」
 さらりとスゴイこと言われた。
「なんだよそれ……」
「他にも色々と、立場上の理由とかはありますけど……濡れると溶けますし」
「溶けるの?」
「はい」
 ……それじゃあ仕方がない、かなぁ。
 三角形に折られたままのテスト用紙二分の一を眺めながら、立場上の理由とか結構面倒そうだなぁと思う。素手で鏡を六芒星に打ち抜いた根性の持ち主だ。彼女なりに色々と苦労があるに違いない。
 何とかしなければ。正確にきっちり同じ折り方である必要はないのだ。ひとまずコップと同じ機能を果たす物体にさえすれば。
 できあがった時には紙がヨレヨレですぐに破れたとかでは話にならないので、余った部分で更に小さな正方形を作り、試行錯誤を繰り返す。
 十分以上かかっただろうか。ミニ折り紙三枚をぐちゃぐちゃにした末に、俺はなんとかコップらしきものを作ることに成功した。
 世界魚は全部で七匹。それを、コップ二つですくい上げなければいけない。紙の強度がわからない分かなり心許ないが。やってやれないことはない!
 俺は気合いを入れて頷くと、再び世界魚へと忍び寄った。
 息を潜めて。ゆっくりと、コップを背後に忍ばせて。
「うりゃあ!」
 勢いよくすくい上げる。
「よっしゃぁ!」
 あっさりと第一ミッションクリアだ! 俺もなかなかやるじゃないか。
 意気揚々と水槽から上がる。
 あとは廊下の向こうの水槽へこの世界ぎょおおおおおををををうっ?
 ぬるぬるした足で、つるつる床を歩くのは危険です。
 そんな冷静な声が、俺の頭の中に響く。
 コップから、水と一緒に世界魚が外へ飛び出す。
 ビチャリと音を立てて落ちた世界魚は、ぴちぴちと床の上でもがいている。
 すかさず、宙に浮かんでいた薄桃色の球体が金属音を立てた。映し出される映像の中で、いくつかの家が大きく崩れた。
「シャレになんねえ!」
 急いですくい上げ、水槽に移してから慌てて映像をのぞき込むと、ゆっくりと切り替わる画面の片隅に、血まみれで倒れている人の姿が一瞬だけ見えた。
「犠牲者、とか……」
 声が震える。目眩がする。
 違う。そうじゃない。しっかりしろ、俺。
「大丈夫です。三人ほど死にましたが、大事の前には取るにたりません」
 淡々とした口調で、彼女が言う。
「何言ってんだ……」
 取るに足りないなんてことがあるか。
 俺の責任なんだぞ。冗談じゃねぇ。
 怒りと恐怖で指先が震え出す。
 だから、そうじゃないだろ。落ち着け、俺。
 深呼吸だ。冷静になれ。今必要なのは、二度と同じ失敗をしないための対応策を考えることだ。
 目を閉じて、呼吸を整えて。
 俺は、半袖シャツを脱ぐ。
 不思議そうな目でこちらを見ている彼女の視線を意識の外に押しやって、濡れていない廊下の上に敷いた。
 これで濡れた足を拭けば、滑らないはずだ。
 気を取り直して、水槽へと戻る。
 神経を研ぎ澄まして。ゆっくりと、正確に。
 俺が、世界を救うのだ。
 彼らの、期待と希望に満ちた瞳を思う。
 俺が、焦がれ、求めていた思いだ。
 忍び寄る。狙いすまして、すくい上げる。
 落ち着いて。焦ることはない。
 水槽から上がって、シャツの上で足を拭いて。
「よし」
 新しい水槽の中へと、世界魚を放す。
 肩の力を抜いて息を付くと、泣きそうな笑顔でこちらを見ている彼女が見えた。

「ありがとうございます」
 涙の溜まった瞳で俺を見上げて、彼女が笑う。最初に俺を出迎えた時以上に、甘い甘い、目眩がしそうな程の笑顔で。
「いや。こちらこそ、ありがとう」
 俺に、世界を救わせてくれて。
「あと、ごめん。大切な、街の人を……」
 あの時、取るに足りないと言った彼女の台詞が本心でなどなかったことは、その後、俺が慎重に世界魚を移していった時の表情から痛いほど伝わってきた。
「いいえ。……いいえ。あなたは、きちんとすべての世界を救ってくださいました」
 世界魚のように煌めく涙が、彼女の瞳からきらきらとこぼれ落ちる。
「あ、あ、あ、だから、泣かれると……」
 どうすりゃいいんだよ、困るよ!
 無様に狼狽える俺をみて、小さく笑って。
「本当に、ありがとう」
 俺は彼女に抱きしめられた。
 冷えた肌に、ほのかなぬくもりが伝わる。
 なめらかなドレスの感触と、布一枚だけを挟んだ向こうにある柔らかさにドギマギしている俺の唇に。
 彼女の、柔らかい唇がゆっくりと重なった……。


←Back ・ Index ・ Next →