[Novels]

【尖塔より愛を込めて - 04】
 〈ストレイシープ〉6代目総領、九条ひなたは緊張していた。
 放課後、授業を終えて帰ろうとしているところを、生徒会副会長である三谷に呼び止められ案内されたのは、森の塔最上階にある生徒会室だった。
 空調設備があるにもかかわらず、経費削減を理由に開け放たれた大きな窓からは、ぬるく湿った風が、ゆっくりと部屋の中に吹き込んでいる。空には雲が、次第に濃く集まってきている。その雲の影で、遠くに見える池の塔がモノクロに霞んで見える。もしかしたら、間もなくひと雨来るかも知れない。
 そんな、まとわりつくように重たい空気の中。入学以来憧れ続けている、生徒会長こと吉村健二に促され、今、ひなたは彼と向かい合う形で円卓についていた。
 極度の緊張に、喉が渇く。処理途中なのだろうか。円卓の脇に積み上げられた分厚いファイルが、ひなたに余計なプレッシャーを与える。
 前を向くと、否が応でも吉村と目が合ってしまうため、ひなたは顔を上げることさえできない。それ故にひなたは、奧の給湯室から三谷がこちらを盗み見ていることには、全く気づいていなかった。
「おとなしそうですね」
 しばらく出入り口から顔だけを出して二人の様子を伺っていた三谷が、電気コンロの前でやかんを見つめている水城に言った。
「実際大人しいわよ。志村ラブだしね」
「え。そ、そーなんですか」
 思わずそれ以上言葉を続けられずにいる三谷を後目に、水城はお盆の上にマグカップとグラスを並べると、しゅんしゅんと音を立てて沸いているお湯でマグカップにインスタントコーヒーをいれ、グラスには氷と、冷蔵庫から取り出したペットボトルのオレンジジュースをなみなみと注いだ。
 その様子に、三谷がいぶかしげに眉をひそめる。
「……なんでコーヒーなんですか?」
 このクソ暑いのに。そう続ける。
「なんとなく、よ」
 あっさりと質問をかわして円卓にそれらを運ぶ水城の、口元に浮かんだにやりという笑みが、三谷には気になって仕方がなかった。

「直接こうして話をするのは初めてかな?」
「はい」
 吉村の穏やかな笑顔に、ひなたは何とかそう答えたものの、その声はひどく掠れてしまっていた。
「〈ストレイシープ〉の総領としての日々はどうかな?」
 にじみ出る緊張を察しているのだろう。柔らかい、優しい口調で吉村が言う。
 しかしその問いに、ひなたはただ首を振ることしかできなかった。
 どうもこうも。総領としての役割など何一つ果たせていない。ひなたは心の中でそう答える。
 側近メンバーも、表番も裏番も。皆、一様に口をそろえて言うのだ。「総領は何も気にしなくて良いですよ。無理しなくて良いですよ。面倒なことは全部、我々にまかせちゃってください」と。それは結局のところ「お前は無能だから何もするな」と、そう言われているに等しい。
 少なくとも、ひなたはそう思っていた。
 先代はもっと、ずっと、組織を掌握していたし、何よりカリスマ性があった。しかし、私にはそれがない。
 うつむいたまま下唇を噛みしめたひなたの目の前に、オレンジジュースの入ったグラスが音もなく差し出された。顔を上げると、生徒会会計である水城が、魅惑溢れる笑顔とともに「どうぞ」とストローを差し出す。
 なんだか喫茶店みたいだと思いながらストローを受け取ると、水城はその笑顔まま、今度は吉村の前にコーヒーを置いて、生徒会室の奧、給湯室へと消えていった。
 この暑いのに、なぜホットコーヒー……。ひなたは心の中で呟く。
 吉村のリクエストなのかと思ったが、マグカップに視線を落とし、わずかに口元を歪めた吉村の様子を見る限りでは、そういう訳でも無さそうだった。
 嫌がらせなのだろうか。一瞬そう思って、それにしては陰湿な雰囲気は何もなかったと、ひなたは思い直す。吉村も、特に文句を言う気は無いらしく、何かを確認するように胸ポケットを軽く叩いて、小さく一つ息を付くと、無言でひなたのグラスを勧めながら、マグカップに口を付けた。
 溶けはじめた氷が、グラスの中でカラリと音を立てる。
 ブラックのまま一気にコーヒーを飲み干す吉村につられるように、ひなたもひんやりと冷えたオレンジジュースで喉を潤した。
 その様子を、水城と三谷が給湯室からうかがっている。
「コーヒーに、何か盛ったんですか?」
 控えめに声をかける三谷に、
「あら。私が何か盛ってたように見えた?」
 水城がたずね返す。
「いえ。普通に、インスタントコーヒーでしたけど……」
「でしょう? 怪しいものなんて、コーヒーに混ぜたりしてないわよ」
 しかし。明らかに今の水城の行動は怪しげである。何も盛ってないというのならば、なぜそんなにウキウキと興味津々でのぞき見しているのだろうか。
 三谷は気になって仕方がない気持ちを抑えつけるように深呼吸してから、水城と並んで二人の様子をのぞき見ることで気分を紛らわせることにした。
 異変は、比較的すぐに訪れた。
「綺麗だね」
 普段通りの、通りの良い、且つ穏やかな声で吉村が言う。
「は、……へ? 何、」
 何を言われたのか、即座に理解できなかったひなたは、目を丸くして聞き返した。
「君の瞳に乾杯」
 円卓に肘をつき、緩く組んだ指に顎を乗せるようにして、吉村は言う。
 何事か、と我が耳を疑いながら、慌てて巡らせた視線の先で。水城と三谷がそれぞれに雰囲気こそ異なるものの、驚いた表情を浮かべているのがひなたには見えた。
「あ、あの、会長?」
 恐る恐る声をかける。外見に変化はない。普段通りクールなままの表情。ただ、その瞳には、ひどく情熱的な何かを感じる。
 吉村はうっとりとした口調で言葉を続けた。
「地と海とは不幸である。そうは思わないかい? 互いに触れあっていても、決して交わることはない。地は地。海は海でなくてはならない。……まるで僕らのようだ」
 ひなたは言葉を失うことしかできなかった。
 そんな異様な光景を遠くに見ながら。
 三谷はぎこちない動きで水城を振り返る。
「コーヒーに、何を、盛ったんですか?」
 少し前にしたのと同じ質問を、強い口調で繰り返す。
「だから、コーヒーには混ぜてないわよ。お湯にはちょっと手を加えてあるけど」
 同じ事だろう。と、あえて突っ込む気にもなれない。
「何をしたんですか?」
 根気よく、質問を続ける三谷に、やかんのお湯を流しに捨てながら水城が答えた。
「隠し味はそこのホイホイに入ってたヤツよ」
「ま、まさか、ゴ……」
「違うわよ。いくら何でもそんな酷いことしないわ」
 言いながら、流しの上で白くのびている何かをつまみ上げて見せた。
 たらりと指先からのびている、白茶色いそれは……。
「イヤー! 両生類はイヤー!?」
「なんて声出してんのよ、生物部のくせに」
 イモリの黒焼きならぬ、茹でイモリを、ぺしっとゴミ箱に投げ捨てながら、水城が呆れたように言った。
「解剖部です!」
 かすかに涙を浮かべながらも、即座に三谷が反論する。
「だったら尚更でしょう? 解剖といったら、カエルなんて基本中の基本じゃない」
 蛙と言えば、両生類の代表選手みたいなものである。
「うちの部は、食べられないものは捌きません!」
「は?」
「うちの部で捌くのは、カレイとか、鰻とか、鶏とか、そういうのです!」
「……それにしても、惚れ薬って、別に黒焼きじゃなくても良いのね」
 真剣に訴える三谷に、それは本当に解剖部かと問いつめたところで、きっと話は決着つかないだろうと悟り、水城はあっさりと話を逸らした。
「惚れ薬」
 三谷が我に返って繰り返す。
「有名よね。イモリの黒焼き」
 水城の言葉に、円卓を振り返る。ひなたに対して、熱烈におかしなラブコール?を語りかけている吉村の姿が見える。
 あれが惚れ薬効果だというのだろうか。惚れてどうこうというよりも、明らかに「おかしくなっている」ような気がするのだが。しかし。
「ちょっとやりすぎじゃないですか? イモリのゆで汁でコーヒーなんて……」
 体調が悪くなっている様子は無いから良いものの(頭が無事かどうかというのはまだ判断しかねるが)。イモリには毒があるというのも、有名な話である。惚れ薬は実は毒薬で、殺すことで思い人を手に入れるのだと、そういう話もあるほどだ。
 三谷の、咎めるような言葉に。
「ちょっとくらい見逃して欲しいものだわ。……だって、もう夏は来ないんだから」
 どこか寂しげな響きを含んだ声で、水城は小さく呟くように答えた。
 三谷はその言葉の奧に隠されているだろう水城の思いに、ただ、黙って目をそらし、窓の外へと逃げるように視線を向けることしかできなかった。

つづく
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使用お題
14 「素敵だね」
8 「君の瞳に乾杯」
19 「地と海とは不幸である」
6 「隠し味はそこのホイホイに入ってたヤツよ」
4 「イヤー! 両生類はイヤー!?」
17 「だって、もう夏は来ないんだから」

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