[Novels]

【尖塔より愛を込めて - 05】
 三谷は今、高校2年生である。対して水城は3年生だ。
 三谷にはまだもう1度、「高校生の夏」があるが、水城にはもう、それが無い。
 そんな最後の夏なのだから。少々の無理は見逃して貰いたいものだ。
 水城はおそらくそう言いたいのだろう。窓の外を見つめたままで、三谷は思う。
 水城にとって、吉村という存在が単なる生徒会仲間というだけではないことくらい、三谷は知っている。
「手に入らないのならせめて、記憶にくらいは残しておきたいじゃない?」
 何の話をしている時だったか、水城がそう漏らしたのを三谷は聞いていたし、三谷は三谷で、随分と長い間水城を見つめてきていたのだ。
 生徒会の任期が終わる前に、何か、むしろ少々無茶だと思えることをしてみたい。そういう気持ちも、わからないでもない。
 しかし。だからって何も、イモリの煮汁でコーヒーという暴挙に出なくてもいいのではないだろうか。しかも、その惚れ薬の効果を、自分ではない人間に向けるというのが、三谷の理解を超えている。
 いや、まあ、惚れ薬効果で口説かれたって、嬉しくないけどさ。
 それにしたって、もう少しまともな方法があっても良いだろう。
 自分だって水城と過ごす夏はおそらくこれが最後なのだ。最後の夏だから。という理由でそんな行動が許されるのなら、俺だってもう少し、何かしらの行動は起こしている。
 そんなことを思い、ため息をつきかけた三谷は、しかし、目に飛び込んできた窓外の光景に、吸い込んだ息を喉に詰まらせた。

 生徒会室。吉村の暴走は止まらない。
 落ち着いた物腰そのままに、とりとめなく、情熱的に言葉で愛を紡ぐ。
 ひなたは、ただ混乱して、困惑の表情のまま吉村を見つめることしかできない。
 その態度を黙諾であると理解したのか、吉村はとうとう円卓に身を乗り出して、ひなたの手を両手で優しく握り混む始末だ。
 ひなたは、自分の心臓がかるく飛び跳ねているのを感じた。無理もない。ひなたにとって吉村は、憧れの生徒会長なのである。その吉村が、熱帯びた眼差しでひなたを捕らえる。
 高鳴るひなたの鼓動に、吉村の囁くような声が重なる。
「さあ、僕の顔をお食べ」
 訳が分からない……!
 ひなたはほとんど泣き出しそうになりながら、助けを求めるように視線を給湯室の方へと彷徨わせた。
 その時。
「会長! 大変です! 西の空をピンクのカバさんが飛んでいます!」
 給湯室から、三谷の悲鳴に似た叫び声が聞こえてきた。
 ちっ。と、吉村が小さく舌打ちをして、窓を振り返る。
 ひなたも、訳が分からないまま、窓の外に視線を向けた。
 確かに。西の空を、愛くるしいドングリまなこをしたピンクのカバが、ぶーんという低いモーター音を立てながら飛んでいるのが見える。
「あれは、ムーミンフライ8号屋内型……!」
 その光景に、給湯室から出てきた水城が呆然と立ちつくして呟いた。
 短い手足を伸ばしてうつぶせになっているようなピンクのカバ。デパートの屋上でよく見かける、幼児用の乗り物を彷彿とさせるそのカバの脇腹からは、高速で動いているために残像しか見えないが、昆虫の羽らしき透明の四枚羽根が生えている。
「航空力学的見地から言って、あれが飛んでるというのは、どうなんだ」
 呆れた声で吉村が言う。
「失礼ね。機械化学部所属である私の、緻密な計算に基づく現象よ」
 さらりと水城が言い返す。
 一見重たそうに見えるが、飛んでいる以上は軽いのかも知れないピンクのカバ。その背中には、やはり幼児用の乗り物を思わせる、小さなシートとハンドル。
 そして今、そのシートには、男が一人立っていた。
 染み一つない白衣。湿った風に煽られて揺れる赤いネクタイ。不敵な笑みを浮かべる顔には、黒縁眼鏡が不穏な雲の流れを映している。
「あれって、もしかして」
 その人物の正体に気づき、三谷が信じられないという口調で言った。
 どんよりと曇った灰色の空をバックに、ピンクのカバの上で高笑いを始める男。彼は、5ヶ月年ほど前に、「私はこの城の覇者になるのだ!」と、よく分からないことを言いだして、学園長にクビを言い渡された、元高等部所属の教師であった。
「何であいつが、あれに乗っているのよ」
 小さく呟く水城を、三谷が振り返る。
「あれは欠陥品だから、私、一月前に、埋めたのよ」
 何、勝手に掘り出してきてるのよ。そう、忌々しげに吐き捨てる。
「欠陥品?」
 復唱しながら、ピンクのカバことムーミンフライ8号屋内型に視線を戻した三谷は、白衣を風にはためかせながら生徒会室に近づいてくる男の、どこか恍惚とした表情に、顔をしかめた。
 開け放たれた大きな窓。生徒会室へと吹き込んでくる湿った風に乗って、男の高笑いが響いてくる。低音を響かせながら、じわじわと窓ににじり寄るピンクのカバ。その伸ばした両手には、愛くるしいドングリまなこに似合わない程、鋭く長いかぎ爪がついている。その長いかぎ爪が、ガキンと音を立てて、窓のさんにひっかかった。
 固定されたピンクのカバは、ゆらゆらと揺れながら窓の外に止まっている。男はにやりと口元を歪めて笑うと、軽くカバを踏み切って、窓から生徒会室に飛び込んできた。
 しゅたっと軽い音を立てて床に降り立ち、生徒会の面々をぐるりと見渡す。そして大きく息を吸い込むと、より一層の高笑いを響かせながら、声を張り上げる。
「私は帰ってきたのだよ! 再び浜松町をわが手中に!」
 その言葉を遮るように、ドカっと、鈍い音が響く。男の声が、途切れる。
 息を飲む三谷。軽く感心したように息をはく水城。驚いて目を見開いているひなた。三人の目の前で、白衣の男は上体を揺らし、そのままどさりと床に倒れた。
 分厚いファイルを持った右手をだらりと垂らしたまま、男を見下ろして。
「馬に蹴られていろ」
 吉村が吐き捨てるようにそう言った。
 恋路だったのか。と、どこか遠い過去を見るような目で三谷は思う。
 恐ろしい。あの両生類は、恐ろしい。ひとり、ふるふると首をふる三谷。そんな彼には気にも留めず、あまりのことにへたり込んでしまっているひなたを振り返った吉村は、分厚くて重たいファイルをどすんと床に投げ捨てると、ひなたの両手を包み込むように握りしめ、顔を寄せて言った。
「お前が好きだ! お前が欲しい!」
 繰り返しになるが、ひなたはとにかく吉村に憧れていた。それ故に、困惑こそするものの、嫌悪感が沸かない。嫌だと思えないので、反抗もできなければ、抵抗もできない。しかし、吉村が明らかに通常と異なった行動に出ているだろうことは、ひなたにも十分理解できていた。どこまで本気なのか、いや、どこまで正気なのかが判らない。逃げるように周囲を見回してみても、生徒会役員の二人は、まだ口説くか。という目で吉村を見ているだけで、判断の材料も与えてくれなければ、救いの手を差し伸べてくれる様子も見られない。それどころか、倒れている白衣の男もそのままに、給湯室に下がってしまった。
 どうしたら良いのだろう。
 声も出せずにいるひなたをのぞき込むように、さらに顔を寄せて吉村は語る。
「ふたりで、蜜月のごとき時間を過ごそうじゃないか。マイスイートハニー」
 真剣な表情と、おかしな言葉のギャップに、ひなたは軽い頭痛さえ覚え始めた。
 この人は、私を弄って遊んでいるのではないだろうか。そんな疑念がひなたの胸にわき起こる。
 しかし、吉村の表情はどこまでも真剣で、その視線はひたすらに情熱的であった。もしこれで、語られる言葉がもっとリアリティのあるセリフだったなら、すぐにでも首をたてに振って、愛を受け入れていることだろう。そう思うと、ひなたは余計に、混乱という名の沼から抜け出すことができない。
「美しい夕日の浜辺をともに走ろう。愛に浮かれた恋人たちのように。そして、愛しくも甘美なあのシチュエーションを実現させようじゃないか」
 うっとりと天井を見上げ、続ける吉村。
「あはは、私を捕まえてごらんなさい」「まてまて、こいつぅ〜」
 情熱に満ちた瞳を、ぎらぎらと野望に満ちた瞳に変えて、吉村が「さあ!」とひなたを抱きしめるように引き寄せた。 
「いやーっ」
 半ば正気を失いかけて、ふたりで浜辺を走るところまで想像してしまったひなたは、本能的な危機感か、あるいは反射的な羞恥心か。とにかく気が付くと、悲鳴を上げながら、床に落ちていたファイルで、吉村の顔を殴っていた。
 痛そうな音が生徒会室に響く。給湯室からのぞいていたふたりが、小さく「あ痛」とハモる。
 殴られた反動でうつむいている吉村の、眼鏡が大きくずれているのを見て、ひなたは我に返った。
「ご、ごめんなさいっ……!」
 慌てて吉村をのぞき込み、殴った部分を手で怖々と触れるひなたを、ゆっくりと抱きしめた吉村は、どこか悪戯な笑みを口元に浮かべると、
「キスしてくれたら許してあげる」
 ひなたの唇に顔を近づけた。

つづく
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使用お題
11 「さあ、僕の顔をお食べ」
21 「西の空をピンクのカバさんが飛んでいます」
22 「一月前に、埋めたのよ」
29 「私は帰ってきたのだよ! 再び浜松町を我が手中に!」
5 「お前が好きだ! お前が欲しい!」
2 「あはは、私を捕まえてごらんなさい」「まてまて、こいつぅ〜」
7 「キスしてくれたら許してあげる」

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