[Novels]

【夕刻】
 いつも以上に鮮やかな夕焼けが、空を朱色に染め上げていた。
 8月。
 夏休みも終わりに近い。
 夕立の気配もなく、昼間の熱も全く冷めきれないまま、夜を迎えようとしている。
 そんな、どこか居心地の悪いほどに美しい空の境目を見つめながら、叶はひとりため息をついた。
 誰もいない教室。昼間は運動部で賑わっている校庭も、今は帰り支度を急ぐ生徒がまばらに見えるだけだ。
 帰らなければ。
 そう思いつつ、かれこれ1時間、こうして窓際の机に座り、叶は外を眺めていた。
 時間と共に、刻一刻と変化する空の色を。
 時は容赦なく流れているのだということを、どこか遠いところで、しかし確実に実感させられながら。
 いい加減、帰らなければ。
 何度目か、思う。
 薄暗くなり始めた教室に目を凝らし、時計を見る。7時14分。
 自分はいったい、ここで、何をしているのだろうか。
 本来ならば、夏期講習を終え、とっくに待ち合わせ場所に赴いていなければならない時間だ。
 夏生との、最後の、ツーリングへ。
 高校3年生である叶にとって、高校生活最後になる、夏生との旅行だった。
 あるいは、人生において最後になるかもしれない。それくらい大切なものだった。
 けれども。
「最後を、迎えるのが怖い」
 呟いて、叶は自分の言葉に驚いた。
 どんなに待ち合わせ時間を遅らせたところで、最後はやってくる。
 ましてや、最後であるその待ち合わせに行かなければ、ただ何も残らずに消えていくだけだというのに。
 なのに。
 最後なんて、来なければいいのに。と、叶は思う。
 このまま、この瞬間のまま時が止まれば、永遠に、最後の夏生との時間だけが待っている。
 愚かだと、思いつつも。願わずにはいられず。


「どういうつもりか、聞かせてもらえないかな?」
 不機嫌な声で叶は我に返った。
 すっかり暗くなっている教室の入り口で、いつのまにか校庭に灯っている外灯の薄明かりに照らされた夏生が、こちらを睨み付けている。
「携帯は繋がらないし、家にはいないし。行きたくないって話も聞いてないし?」
 ゆっくりと、叶の方に向かって歩きながら、夏生は言葉を続ける。
「また、どうしようもないこと、考えたんだろう」
「……ごめん」
 掠れた声で、叶が言う。その声に、夏生が小さく笑った。
 空はすっかり暗くなり、白く小さな月が出ている。
「まぁいいよ。とにかく早く出発しようぜ。行きたい場所はたくさんあるんだ。次回の予定はもう決まってんだから、スケジュールは押せないんだよ」
「次回……?」
 驚いて聞き返す。
「どう足掻いても、最後は最後。だったら楽しむまで。それでも最後が嫌なら、最後にしなきゃ良いんだろ? 要するに」
 夏生がにやりと笑った。
「相変わらず、むちゃくちゃ言うなぁ、夏生は」
「叶が後ろ向きすぎるんだよ」
 言いながら、叶の鞄を取り、足早に教室を出る。
「あんまりのんびりしてると、警備員のおっさんに怒られるぞ」
 叶は慌てて、夏生を追って教室を後にした。


 次回の約束が果たされるかどうかなんて、実際のところ叶にはわらない。
 お互いに目指す大学が離れている以上、そう簡単に次回があるとも思えない。
 けれども、次回の約束があるだけでいいと、叶は思う。
 約束が、当然のようになされる関係が続くこと。それが何よりも、うれしかった。
 空は、時間と共に刻一刻とその色彩を変化させていく。
 否応なく。
 それは、叶を取り巻く環境においても同じ事だ。
 変化は誰にも止めることはできない。
 それでも。空が永遠に空であるように。
 夏生との関係も、距離や形こそ変わっても、永遠に途切れないものであればいいと。
 心地よい夜風に吹かれながら、叶はそう思った。


 ... ... ... END.


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