[Novels]

【10月】
 体育祭が近い。
 放課後の教室や廊下は、クラス旗を作る生徒たちの声で満ちていた。
 喧噪。ざわめき。眩しく散らばる、笑い声。
 ポスターカラーの、重たい匂いが、体に染み込んでくるようで。
 思わず眉をひそめた。
 10月の空は、どこか頼りない。夏の間に溜まっていった熱が、まだ冷きっていないようで。
 秋と言うには、まだ早く。夏と言うにはもう、遅すぎる。
 中途半端で、ひどく、不安定な。薄く澄んだブルー。
 廊下と教室を区切る、薄っぺらい壁にもたれて、温度のない廊下に座り込みながら。
 灰色の壁に切り取られた空を見て、深くため息をつく。
「おい、元堀」
 頭の上から降ってきた声に見上げると、渋谷が空になったポスターカラーの瓶を突き出した。
「おまえも少しは手伝えよ。っていうか、お前のデザインじゃん?」
 呆れたような口調で。でも、顔は笑ったままで。渋谷が言う。
「やだ」
 一言だけ答えて、窓に視線を戻すと、すかさず空き瓶で頭を小突かれた。
「った! 何?」
「じゃあ、購買でこの色買ってきて」
「何で私が!」
「クラスイメージは青。クラス旗もそれにあわせて青のグラデーション。そうでなければ、デザインなんかしないから。と、言ったのはお前だろ。元堀」
 この色、あと二瓶買ってきて。
 そう言って、空の瓶と、千円札を1枚、半ば無理矢理渡された。
「ちゃんと領収書もらえよ」
 まるで、子供を初めてのお遣いにやる親のように。優しい声で。そう言って。
 日に焼けた、褐色の、細長い手で、くしゃりと頭をなでられた。
「……セクハラ」
「馬鹿言えよ」

 面倒くさい。
 そう思いながらも。
 仕方がないから購買に向かってゆっくり歩いた。
 どのクラスからも、ポスターカラーの匂いがしている。
 こういう匂いが、後々、青春の一頁とかになるのだろうか。
 ……ちょっと嫌。中途半端で、嫌。
 どうせならもっと、盛大に、それこそ全校生徒でひとつの旗を描き上げるくらいの。
 そういう風なら、まだ、それなりに。
 そう考えて、余計に面倒くさくなった。

 購買で青のポスターカラーを二瓶買って。忘れずに領収書をもらって。
 歩いてきた廊下を、また、ゆっくりと戻る。
 戻りながら、ふと、さっきの、頭をなでた渋谷の手を思い出した。
 褐色の。細い。でも、筋肉のある。少しだけ筋張った。
 運動部らしい、腕。
 手首には、鮮やかなブルーのミサンガが着いていた。
 健康的な小麦色の肌と、鮮やかなブルーのコントラストが、目に、焼き付いている。
 渋谷らしい色だ。
 あやふやじゃない。中途半端でもない。
 そんな、色。
 あの手なら、中途半端な自分を、鮮やかな世界に引き上げてくれるだろうか……?
 この、あやふやで中途半端な、頼りない世界から。
 そう思って、あまりの他力本願さに、我ながらうんざりした。

「遅せぇよ」
 ちょっと呆れたような笑顔で。でも、やっぱりどこか優しい口調で。渋谷が言った。
 無言で、ポスターカラーの入った紙袋と、おつりと、領収書を渡す。
 渡しながら、褐色とブルーのコントラストに目を落とす。
「何?」
「別に、なんでもない」
 そう答えて、また、廊下に座り込んだ。
「なぁ。自分のデザインした旗が、どんな風にできあがるかとか、気になんねぇの?」
「どうでもいい」
「連れないよな」
 俺は、見て欲しいね。力作だぜ。
 くしゃりと、頭をなでて。渋谷が言う。
「……もう少し、したらね」
 そう、答えたら。渋谷は小さく声を出して、笑った。

 10月の空は、どこか頼りなくて。
 頼れるほどに、はっきりした何かを、ぼんやりと探して。
 中途半端な熱に、少しだけ、翻弄されながら。
 でも、このポスターカラーの匂いも、悪くはないかも知れない。
 少しだけ、そう、思った。


 ... ... ...END.


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