[Novels]

【無題SS - 05】
「今朝はどうも。助かったよ」
 海が夕日を反射してきらきらと輝くように。
 たおやかにさざめく波のように。
 穏やかな声で、彼が言った。
 形の良い手が、私に生徒手帳を差し出す。
 無言でそれを受け取りながら。心のざわめきを思う。

「何か?」
 生徒手帳を受け取ったまま立ちつくしている私に、彼が尋ねた。
 訊けばいい。海に行っていたわけを。海に求めているものを。
 けれど。いったいなんと訊けばいいのだろうか?
 様々な思いが駆け抜けていく中で。
「なぜ、海に?」
 言葉にできたのはひと言だけだった。
「なぜ落ちたかって?」
 彼が苦笑う。
「いえ、そうではなくて、なぜ海に行っていたのかと……」
 慌てて否定して尋ね直すと、彼はおもむろに視線をそらして、
「君には関係のない話だよ」
 と答えた。  
 一見冷たく聞こえる言葉だったが、拒絶ではなかった。
 おそらく、本当に「関係がない」から答えないのだろうと、納得できた。
 けれども。けれども、それは本当に、私にとっても関係のないことなのだろうか?
 彼が海に求めているもの、それは、私と同じではないのか?
「非日常を……」
 私の思いは声になって夕日に溶けた。
「ふうん」
 納得したとでも言うように、彼はゆっくりとひとつ瞬きをすると、まっすぐな瞳で私を見据える。
「東爪歩さん」
 名前を呼ばれて、掠れた声で返事をしたつもりだった。が、声は出なかった。
「君は何か、思い違いをしているみたいだから言うけど」
 耐えられずに、私は視線を生徒手帳に落とす。
「海に非日常を求めるのは、やめた方が良い」
「!」
 弾かれたように顔を上げると、夕日を湛えた瞳に視線がぶつかった。
 驚きと期待とが混ざった私の心を見透かすように、その瞳を細めて。
 ひどく穏やかな声で、彼は私に告げた。

「無駄だから」と……。

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