[Novels]

【無題SS - 10】
 彼の携帯が、小さなアラーム音を鳴らした。

 画面で時間を確認して、私に言葉をかける。
「7時半だ。ここからは、俺だけの時間だから……」
 その言葉が終わらないうちに、携帯から透き通るような綺麗な曲が流れてきた。
 着メロ。
 慈しむような、でもどこか切ない、穏やかな旋律。
「君がその辺に居るのは自由だけど、くれぐれも邪魔しないように」
 すらりと長い人差し指を立てて、私に告げる。
 
 状況が掴めずに、ぼんやりと立ちつくしている私に背を向けて。
 電話に出た彼の、その声が、あまりにも優しくて。
 彼女だ、と。
 そう思ったら、なんだか、不思議と、心が躍った。

 波の音と、朝の陽のきらめきと、優しく響く、声。
 彼が海に求めていたものは、きっと、彼女との風景の共有だ。
 なんとなく、そう確信した。

 彼にとっての海は、大切な日常なのだ。
 それは、現実としての、彼女とのつながりであるに、違いない。

 おそらく、彼と私は、似ているのだろう。
 そして、彼は、一足早く、変化を遂げた人なのだ。
 彼に見た海。
 それは、憧れと、羨望とのシンクロ。

 今、一歩だけ、前に進んで。
 ゆっくりと、海を見た。
 大きく息を吸い込んで。
 彼の邪魔をしないように。
 私は、ゆっくりと歩き出した。
 学校へ、行こう。
 不思議と、足取りは軽くて。
 私を包む、すべてのものが、鮮やかに、輝いて見えた。

 心の中に、ゆらゆらと輝く海。
 
 私は、今、新しい日常の海を、手に入れた。
 そう、思った。

 ... ... ... END.

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