[Novels]

【回帰紅 -メグリテ アカニ カエル-】
 保健室に、軽やかな笑い声がきらきらと散らばった。
「せんせぇ、さよなら」
「さよなら〜」
 保健委員の仕事を終えた生徒たちが、ひらひらと手を振りながら、教室を後にする。
「気をつけて帰りなさいね」
 笑顔で見送って、楓は静かに入り口のドアを閉めた。
「さて、と」
 残った仕事を片づけてしまおう。
 ゆっくりと机に向かいながら、楓はふと、窓の外へと視線を巡らせた。
 秋。教室深く差し込んでくる西日のまぶしさに、思わず目を細める。
 わずかに先ほどまでの笑みを残したまま、窓に近寄り、カーテンに手を伸ばす。
 シャ、と軽い音を立てて、楓はオフホワイトのカーテンを引いた。
 ふいに、夕日色に染まるカーテン。
 そのカーテンを通して、薄く、淡く、紅色に沈む教室。
 そのたおやかで、静かな光のベールの中で、楓はふと、鼻先を掠めるように横切った幻に振り返った。

「輝けるものに、なりたいのに……」
 そんなものには、到底なれるはずもなく。
 ただ、光への憧れだけが募る、その思いに、楓は無意識に呟いていた。
 眩しく輝く夕日の見える、中学校の保健室で。
 ただ、何をするでもなく、ベッドに腰掛けて。
「輝けるもの?」
 楓の隣で、同じようにのベッドに腰掛けていた少女が、繰り返すようにたずねた。
「夕日のように、美しく輝けたなら、良かったのに」
 何に対して、そう思い、何をもって、自分は輝けないと思っていたのか、それはもう、思い出せない。
 もしかしたら、その時の自分自身も、本当は何一つわかっていなかったのかもしれない。
 けれども。
「私、美術は2なのね」
 突然、そう言って立ち上がった少女を、楓は驚きつつも無言で見つめた。
「でも、あの夕日を、美しく描くことはできるよ」
 いたずらっぽく微笑んで。
 軽い足取りで、窓へと向かう。
 シャ、と魔法のような音を立てて、少女は白いカーテンを思い切り引いた。
 柔らかく、淡い紅色で染まるカーテンに、思わず楓は息をのむ。
 生きている夕日を、そっとカーテンでくるんだような、暖かな紅。
 ゆらゆらと揺れるカーテンの波にあわせて、夕日の紅もゆらゆらと揺れていた。
「知ってる?」
 朱色に染まる笑顔で振り向いて。
「夕日は、雲や建物にあたって、初めて紅く染まるのよ」
 どことなく大人びた口調で、少女は言った。
「どんなに夕日が美しくても、その光を受けるものが無ければ、その紅く美しい光を映すものがなければ、夕日はただ無意味に輝くことしかできない」
 音もなく、楓の隣に腰掛けて、揺れる朱色のキャンパスを見つめながら。
「自らが輝かなければならない、なんてこと、無いじゃない?」
 それは楓に贈られる言葉でもあり、独り言でもあるように、おぼろげに、けれども鮮やかに、紅色に染まる教室にとけてゆく。
「輝けなくても、いいじゃない?」
 ひとつ、まばたきをして。
「美しい光に身を任せて、美しい色を映して、そうして成長していけばいいのよ」
 いずれ、その光は心に染み込んで、きっと自分のものになるから。
 ただ涙を流すだけの楓を、そっと抱きしめて。
 少女は優しい呪文のように、そう囁いた。

 沈み行く夕日とともに、少しずつ色彩を変えていく、生きている絵画。
 窓一面に揺れる、おおきなキャンパス。
 夕日を受けて、やわらかく、紅く、染まりながら、楓は静かに目を閉じた。
 彼女は今、どこにいるのだろうか。
 あの後、突然転校してしまった少女。
 そのどこか大人びた横顔を。
 もう、二度と会うことの無いだろう少女を思う。
 彼女もまた、どこかで、この夕日を見ていればいい。
 儚い思いを抱いて。

 懐かしい光の中で。
 あの優しく、立ち止まった時間の中。
 回りゆく思い出の紅に帰って。
 楓は、少女に笑いかけた。


... ... ... ...END.


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