[Novels]

【夕魚の群れ】
 見上げた空に、ゆらゆら揺らぐ、夕魚(ゆお)の群れ。
 じわりと汗が肌をつたう。そんな真夏の夕暮れに。
 きらきら光を反射して、夏の魚が空を泳ぐ。

 夏休みの校庭は、時間が止まっているかのような、熱帯びた沈黙に沈んでいた。
 普段ならば、クラブ活動に励む運動部の姿を見かけることもできるろうが、今はお盆で、校庭も短い夏休みを迎えている。
 熱の膜に包まれた、耳鳴りのするような静寂。その揺らぎの中で、僕は一人、空を見上げた。
 ゆらゆらと揺らぐ熱気の中を、夕魚が泳いでいる。
 強い日差しのままビルの中に沈んで行く太陽へ、ゆっくりと進む夕魚の群れは、時折跳ねるように光を反射して、僕は目を細めた。
 夕魚。
 数年前から夕立ちのかわりに見られるようになった、日本特有の現象だ。
 暑い夏の午後、にわか雨によってわずかに気温が下がった後、再び夕方の日差しで熱せられた地上の水蒸気が対流によって揺らぎ、その揺らぎに光が反射して起こる蜃気楼の一種で、かげろうとか逃げ水とかに似た現象だと、学校では習った。
 熱を吸収して冷えにくいアスファルト。二酸化炭素による温室効果。クーラーの過剰使用による外気温の上昇など、総じて地球温暖化が夕魚発生の主な原因と考えられているらしい。
 夕魚だけではない。ここ数年で、地球の環境は急激に、かつ、目に見えて変化している。
 あちこちで、大水や干ばつが起きていて。雨が降らなかったところに突然、大量の雨が降ったり、雨がよく降り豊かだった国が、急に干からびていったり。そんな異常気象なんて、すっかり日常茶飯事だ。
 永遠不変なんて存在しない。
 それは、ごくありふれた言葉だと思っていたけれど。
 地球でさえも、永遠ではないということは、うっかり忘れがちだったらしくて。
 僕も、クラスメートも、先生も、みんな、今更ながらに、刻一刻と変わっていく状況に、不安を覚えていた。
 ゆらゆらと、水無き空を泳ぐ夕魚。
 見上げた空は、まるで水面のように、音もなく波打っている。
 いつか。そう遠くない未来に、この空は本当に、水で浸されるらしい。
 僕らが立っているこの地上は、やがて、水底と名前を変えるだろう。
 ゆらゆら揺れる、あの夕魚の群れは、もしかしたら、やがて来る未来のワンシーンなのかもしれない。
 じっとりと、まとわりつくような汗が額を伝って落ちるのを感じながら。
 校庭の砂地に、吸い込まれて消えていく汗の滴を思いながら。
 僕らの存在なんて、この汗のように、どこか大きな存在の中へ消えていくものなのかもしれないと。そんなことを思いながら。
 見上げる夕魚の群れは、美しく。
 きらきらと、太陽の光を映して。やがて、乳白の雲に溶けて消えてゆく。
 変化する地球。変化する僕ら。真夏の幻影。空を泳ぐ魚。
 たとえ、この空に水が満ちてしまおうとも。
 たとえ、僕の未来が、深い水の底に沈んで行くものだとしても。
 それでも。
 夕魚を見上げるたびに、僕は思う。
 この地球の輝きを。
 生まれてきた、僕の、喜びを。

 ゆらゆら揺らぐ、夕魚の群れ。
 僕たちもまた、この揺らぐ世界の中で、美しく光反射するものでありたいと。
 沈み行く未来に、祈るように、願う。


.. ... ... ...END.

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