[Novels]

【14歳で生まれた僕らは、15歳であの街に向かう】

 キリリリ キリリリリ キリリリリリリリリリ
 キリリ キリリリリリリリ キリリリリリリリ

 ゼンマイを巻く音が、茜色の西日差し込む部屋にこだまする。
 開け放たれた窓からは、生まれたばかりの春の香りを含んだひんやりとした風が、クリーム色の柔らかいカーテンをふわりと揺らしながら忍び込んでくる。
 溶けかけたミルクアイスを思わせる雲が、窓から見える遥かな町並みの輪郭に沿って漂い、その雲に淡い淡いイチゴシロップ色の夕日が、グラデーションを描きながら染みこんでいる。薄橙色に染まる木目の床には、丸椅子に腰掛けた人形と、その人形のゼンマイを巻く少年の影が、長く薄い影を落としている。
 指先にほんのりと、木製螺子特有のぬくもりを感じながら、サシャはゼンマイを巻く手を休めて小さく息を付いた。螺子を背中に生やした人形の着ている茶色のブレザーに、夕日があたってかすかに熱を帯びている様子は、孵化を待つ雛を閉じこめた卵のぬくもりを思わせる。
「あと24日……」
 呟きながら、サシャは無言でたたずむ人形の肩をなでる。サシャとほぼ同じ背格好をしたその人形は、15歳の誕生日にサシャが自分で買ってきたものだ。織り目の粗いブレザーのざらりとした生地越しに、細くて硬い肩骨のとがりを感じることができる。
 ほの温かい夕日に照らされた部屋で、ゆっくりと人形の正面に廻り、膝をついてゆるやかな動作で抱きしめると、華奢な体が軋む小さな音が両腕から伝わってくる。力を込めれば容易く折れてしまいそうな存在感に、サシャは目を閉じた。無機質と有機質を半々に持ち合わせているような、しっとりとした手触りを持つ人形の、柔らかな前髪のかかる額に自分の額をあわせれば、人形の息づかいが聞こえるような気がする。
 唇が触れそうなくらいに寄り添って、サシャはそっと人形の名を呼ぶ。のぞき込んだ瞳が、その声に答えるように夕日色に輝いた。
 雲を染めていたイチゴシロップ色の夕日は、次第に雲に吸い込まれてその色を失っていく。遠くで、夕方の時を告げる鐘の音が響いている。
 サシャは思い出したように立ち上がると、一足早く夜色に染まり始めたキッチンから、おやつに食べそびれていたグラスを持って人形の隣に腰掛けた。沈む寸前の、最後の光を反射して七色に光るカットグラスには、深い琥珀色のエスプレッソにひたされたチョコレートアイスが盛られていた。銀色のスプーンで、エスプレッソ香るソースとアイスをすくい、口に運ぶ。ソースの苦みとチョコレートアイスの甘みが、口の中に広がって溶けていく。ふた匙めをスプーンごと口に含みながら、サシャは風に前髪をゆらす人形を見つめた。
 夜のベールを少しずつ纏いはじめる部屋で、背中に螺子を持つ人形は、息を潜めてたたずんでいる。その姿を眺めていると、おぼろげにも胸を締め付けられるような感触と、とろけるような穏やかな思いが、遠くに聞こえる鐘の音のように心の中で響きを奏でる。
 15歳の誕生日に人形を買ってきてからしばらくは、苦みだけが胸の中にあった。運命とも呼べる、自分たちの営みを忌々しくも思った。けれども今は、彼が動く姿を見られないこと。他のどんなことよりも、そのことがサシャにとって一番残念でならない。
 ゆっくりと空が茜色を失い、透明の境界線を越えて、夜色の幕をおろしはじめる。夜が、空から降りてくる。
 溶けかけたアイスを、スプーンでゆっくりとかき混ぜながら。ゼンマイを巻くように、何度も何度もかき混ぜながら。沈み行く部屋の中、無言で人形を見つめ続ける。
 やめようと思えば、今からでもやめられるのかもしれない。ゼンマイを巻くことを。
 けれども、きっと自分は最後までゼンマイを巻き続けるだろうことを、サシャは自覚していた。
 あと24日。
 あと24日で、サシャは16歳の誕生日を迎える。
 あと24日で、人形がこの家に来てから1年になる。
 あと24回、人形の背中に生えている螺子を廻せば、サシャは365回、ゼンマイを巻くことになる。
 15歳の誕生日から、16歳を迎えるその日まで、毎日毎日巻かれるゼンマイ。
 365回巻き上げた翌日、人形は14歳の誕生日を迎えて生まれ、サシャは16歳の生命を閉じる。
 部屋が、夜の闇に沈む。風が部屋の温度を奪っていく。
 サシャはすっかり形を無くしたアイスの残骸を床に置くと、立ち上がって窓を閉めた。
 床に膝をつき、人形を抱きしめる。
 長袖のシャツ越しに染みこんでくる、夕日にあたためられたブレザーのぬくもりは、生まれたばかりの雛を思わせる。
 サシャは人形の肩に顔を埋めて、名前を呼んだ。
 人形にだけに聞こえる声で。
 自分と入れ替わりにこの世に生まれるだろう、その人形の名を。


.. ... ... ...END.

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