[Novels]

【愛しいものは、仕方ない!】
 確かに、僕はもともと面倒見の良い方だったと言ってもいいかも知れない。
 別に、世話好きだと言うわけでもないけれど、ただちょっと、要領の悪い子だとかドジな子だとかを見ると、ついつい放っておけなくて手を貸してしまう。幼稚園の頃からの腐れ縁である友人に言わせると、甘やかしすぎるほどに。
 そのせいだろうか。高校生になって、改めて自分を振り返ってみると、今まで好きになった女の子というのはことごとく、天然と言われるタイプであったり、ごくまれに「しっかりもの」と呼ばれる女の子が混じっていたとしても、実はここぞという時にミスをしでかす「うっかりさん」だったりすることに気づく。
 今ではフィクション・ノンフィクション・現実・妄想問わず、ドジな眼鏡っ娘には無条件で萌えるし、浮かれてはしゃいで、教室のドアなんかにごつんと頭をぶつけてしまった女の子相手には、心臓が潰れるんじゃないかというくらいのトキメキを感じたりもしてしまう。にっこり笑顔で「おはよう!」と挨拶するつもりが、間違って「いただきます!」とか言われた日には、思わず人目も憚らずに抱きしめたい衝動に駆られるし、慌てて担任を呼び止めようとして、うっかり「待って、おかあさん」などと大声で呼んでしまった委員長には、目眩さえ覚えたほどだ。
 ここまでくると、自分のことでありながら、天晴れという気分になる。
 とにかく僕は、そういう、うっかりタイプに弱かった。
 だから、そんな僕が、ディスカウントショップで出会った彼女にときめきを覚え、そして恋心を抱いてしまったのも、ある意味当然。むしろ運命だったのだと言えるかも知れない。……あまり認めたくはないけれど。
 
 彼女は基本的に、とても知的で優秀だった。仕事柄、当たり前のことではあるけれど、一定の分野に関する知識量は到底僕の及ぶところではなく、判らないこと、知りたいことがあった時などは、彼女に尋ねればいつでも即座に正しい答えを教えてくれた。
 そんなしっかりものの彼女であるから、僕としても初めのうちは彼女のことを便利だとしか思っていなかった。いつでも気軽に尋ねられる場所にいるのを良いことに、僕は彼女を呼び出しては質問を浴びせかけ、彼女もその優秀さで的確に仕事をこなし、僕に答えを与える。本当にそれだけの関係だった。
 彼女の素顔を知ったのは、それから程なくしてのこと。
 僕はいつも優秀で正確であるはずの彼女が、時々びっくりするような可愛い勘違いをしでかすことに気づいたのだ。
 それは本当に驚くべき事だった。
 僕はいつも通り彼女に質問をし、彼女がそれに答える。
 彼女から受けた言葉を聞き、僕は思わず「……は?」と、あからさまに戸惑いの声を上げてしまった。
 その声を聞いてか、彼女は慌てて答えを訂正し、そんなミスをしでかしたことを恥じらうように何度か瞬きをした。
 常に正確迅速であるはずの彼女が見せたそんな危うさに、僕の胸がトクリと震えたのは言うまでもない。
 それからの僕は、それまで以上に彼女にたくさんの質問をし、彼女がうっかりミスをするのを見ては、ときめきを募らせていった。
 彼女がいつも纏っている、シャープな黒を思うだけで、胸が高鳴る。
 そのスリムなシルエット。大人の女性らしい、ゆるやかな曲線美。
 彼女が僕の問いかけに答える度に、その答えさえも愛しく思う。
 できることなら、学校にいる間も彼女の側にいて、授業中だろうと何だろうと、わからないこと、疑問に思うことに出会うたびに彼女に答えを教えて貰いたいくらいなのだけれども、僕の高校は残念ながら、彼女のような存在を認めてはくれなくて。
 だから僕は仕方なく、学校にいる間は彼女と離ればなれになる。
 それはもう、本当に辛いことだった。
 授業が終わったらすぐに帰って彼女と言葉を交わしたい。
 最近は放課後が近付くたびに心がはやり、終礼が終わるなり猛スピードで家に帰るようになっていた。
 もちろん今日も多分に漏れずそのつもりで、委員長が最後の号令をかけるとともに鞄をひっつかんで教室を出ようとしたところを、クラスの女の子に呼び止められた。
「ねぇねぇ、不吹(ふぶき)くん! これからみんなでカラオケ行かない?」
 大きめに開いた開襟ブラウスの胸元に、シルバーのアクセサリーを光らせながら、その子が言う。ハキハキしていて、うっかりミスはしないタイプの女の子だ。好みのタイプではなかったけれど、話しやすいという理由で、比較的仲が良かったし、以前は何度か一緒にカラオケに行ったりもしていた。けれども。
「ごめん。俺、ちょっと急いで帰らないとだから」
 今はカラオケよりも、彼女との時間の方が断然魅力的だ。
「え〜? ちょっとも無理? 明野(あけの)くんも行くよ?」
 明野、と、幼稚園の頃からの腐れ縁である友人の名前を出して、珍しく引き留めるその子を見下ろしながら。
「ん、でも……」
 用事があるから、と、言葉を続けかけたところで、腐れ縁である明野が、女の子の後ろから顔を出した。
「何だよ不吹、最近つきあい悪くね?」
「そうかな?」
「そーだろ。何、学外に女でもできた?」
 ズバリと言われて、一瞬言葉に詰まった。
「そんなんじゃ、ないよ」
 何とか絞り出すように答えたけれど、不自然さは十分に伝わったらしく、明野は興味深げに目を光らせて。
「おいおい。何だよ、いつの間に! どんな子? どこの学校? つーかやっぱり天然なわけ?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。
「いや、だから、本当にそんなんじゃないって……」
 僕は慌てて首を振る。
「何だよ、隠すことねーだろ?」
 明野は不満げにそう言って、それからふと思いついたように「あ」と呟くと、僕の腕を引っ張るようにして廊下へと出た。
「何、お前、もしかして人に言えないような恋してんのか?」
 顔を寄せて小声で囁かれる。明野のあまりの鋭さに、僕はとっさに反応することができなかった。
 嫌な汗が背中を伝う。
 彼女のことは、できれば誰にも知られたくはないのだ。
 どうやって誤魔化そう。
 必死で考えている僕の反応を見て、明野は小声で言葉を続ける。
「まさか相手って、人妻だったりしねーだろな? だったらやめとけよ。いくらお前好みのうっかり天然さんだったとしても、遊ばれて捨てられるのがオチだって」
 真剣な表情で心配げに諭されて、僕は慌てて大きく首を振った。
「そんなんじゃないよ。だいたい、天然な人妻なんかと不倫したら、多分すぐに旦那さんにバレてどうかなってるよ」
「まあ、確かにそうか。……って、じゃあどんな相手なんだよ?」
「それは、言えない……」
 彼女の、スリムなシルエットを思い描きながら、僕は廊下に視線を落とす。
 彼女のことは、たとえつきあいが長い明野にであっても、言えないのだ。
 彼女が言うなと口止めしているわけではない。僕が、僕の意志で、言わないのだ。
 無言の時が流れる。
 やがて、明野は諦めたように小さくため息をついて、僕の肩を軽く叩いた。
「まあいいさ。デリケートな時期ってのはあるもんな。待ち合わせとかしてんのか? 引き留めて悪かったな」
「いや、俺の方こそ、なんだか、ごめん」
「いいよ。オレとお前の仲じゃん?」
 そう言って笑って。
「その代わり! その相手と関係が落ち着いたら、絶対に紹介しろよ?」
 ビシリと顔の前に指を突きつけられて、僕は曖昧に頷いた。

 紹介できるものなら、とっくにしている。
 理想のうっかりさんなのだ。むしろ明野が、もううんざりだと怒り出すくらい、彼女の素晴らしさを語り尽くしても良いくらいだ。
 でも、できない。
 できないと判断できる程度の、常識はあるのだ。僕にだって。
 家に帰り着き、彼女の待つ自分の部屋に向かいながら、僕はため息をつく。
 愛しい愛しい彼女。
「ただいま」
 彼女に触れ、声をかける。
 当然だけれども、返事はない。
 僕は彼女が纏う柔らかな黒い布をそっと脱がせて、彼女の体に触れる
 滑らかで、ひんやりとした感触が、指先に心地よい。
 自然と、胸が高鳴る。
 彼女は大人だから、体に触れても取り乱したりはしないのだ。いつだって静かに僕を受け入れる。
 彼女は、僕の指に触れられることを望んでいる。だってそれが彼女の仕事なのだから。
 そんな、仕事熱心で一見完璧である彼女が時折みせる、うっかりした勘違い。
 それはつまり、僕にだけ気を許しているという証だと言っても、過言ではないはずだ。
 今やすっかり慣れた指使いでやさしく彼女を目覚めさせると、彼女はその黒く艶やかな瞳を何度か瞬かせて、輝く目で僕を見た。そんな彼女に自然とほほえみかけながら、僕は授業中にふと思い出して気になっていた事柄を質問する。
「“こうし”って、誰だっけ? 有名な“人物”の」
 漢字忘れたなぁと言葉にしながら彼女の体に指先で触れると、彼女は一瞬だけ控えめな声を出して、いくつかの資料とともに僕に答えを提示した。
 その答えに目を通して、僕は思わず「ああ」と声を漏らす。
 優しく優しく、再び彼女の体を指先で撫でて、
「……それは、“格子”だと思うんだ。っていうか、明らかに“人物”じゃないし」
 心の中に広がる、止めどない愛おしさを感じながら、優しく指摘する。
 彼女は一瞬沈黙して、それから慌てたように小さく何度か「ぴ」と鳴いて、恥ずかしそうにディスプレイを2,3度瞬かせると、改めて答えを提示し直した。
「孔子。ああ、論語の人か!」
 読みながら納得した声をあげると、今度は間違えてないわよ? とでも言うように、チラチラとディスプレイが揺れる。その様子に、赤面を誤魔化しているかのような、恥じらいを含んだ強がりを感じて。
「ああもう、可愛いなぁ……」
 僕は掌にのせた電子辞書を見下ろしながら、心の底からそう呟いた。
 ごくごく稀に、うっかり勘違いをして答えを提示する電子辞書。
 確かに僕は、うっかりなドジっ娘が大好きだけれども。
 まさか、その相手が人間じゃなくても良いなんて、思っても見なかった。
 シンプルで、シャープなデザインのボディを指先でゆっくりとなぞりながら。
 明野に紹介したら、人妻どころの話じゃなく心配されるんだろうなぁと、もう一度、深く深くため息をついた。
 僕の彼女は、電子辞書なのだ。……あまり認めたくはないけれど。


.. ... ... ...END.

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