[Novels]

【雪解けの川へ】

 北方の小国、セシルヤードの軍に所属する重機兵部隊は、入隊したての少年兵たちにとっては憧れの部隊である。
 一昔前に繰り広げられた隣国との戦いの際に、最前線で大いなる活躍を見せた重機兵部隊。その中でも最強と誉れ高い、空駆ける戦闘兵器ストラスは、その黒く美しい機体と、鳥のように自在に空を切る翼とも相まって、少年達を魅了して止まなかった。
 軍に所属するからには、重機兵部隊に配属され、ストラスの操縦士になること。ほんの一握りの人間だけに与えられる栄誉は、入隊したての少年達が一番に思い描く夢であった。戦火の波が去った今でも、その憧れは尽きることなく、自ら志願して軍に所属する少年もまた、尽きることはなかった。

 ◆◇◆

 川に張っていた氷が溶け、平原に黄色い花の絨毯が開き始める頃、セシルヤード軍重機兵部隊に配属が決まったばかりのグラスは、しかし不機嫌な表情を隠せないでいた。
「何よ、不機嫌な顔しちゃって」
 軍の詰め所ほど近くにある小さな食堂で、木椅子の背もたれにだらしなくもたれかかって体を揺らしていたグラスは、注文を取りに来た少女の問いかけに、まだ幼さの残る顔で口を尖らせる。
「だってさぁ。せっかくストラスの操縦士に選ばれたってのに、活躍の場がないんだぜ?毎日毎日、訓練訓練。こう、かっこよく敵を蹴散らしてこそ、ストラスだと思わねぇ?」
 無邪気にもそう言ってのけるグラスを、幼なじみである彼女は無言で見つめ返す。
「あ〜あ、どっかで戦争起きねぇかなぁ。そしたらオレ、すぐさまストラスで駆けつけてやるのに」
 天井を仰ぎ、ゆらゆらと椅子ごと体を揺らすグラスの言葉に、あからさまに顔をしかめて。少女はグラスが座っている椅子を思い切り蹴飛ばすと、情けない声を上げて後ろに倒れ込んだグラスにくるりと背を向けて、乱暴な足取りで店の奥へと引っ込んでいった。

 ◆◇◆

「馬っ鹿じゃないの? 前から馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、あそこまで正真正銘の馬鹿だなんて思わなかった!」
 店の奥に引っ込むなり、リタは吐き捨てた。
「先の戦いの話を、あの”消し炭色の夜明け(シンダー・ドーン)”を知らないはずなんてないのに!」
 両手を握りしめて唇を噛むリタに、
「それだけ、セシルヤードが平和になったということよ」
 裏口近くの丸木椅子に座って縫い物をしていた女性が優しく声をかける。
「だからって、戦いを望んで良いということにはならないわ!」
 苛立たしげに首を振って、リタは咎めるように女性を見つめた。大きな瞳は、今にもあふれ出しそうなほどに、涙で濡れている。夜を思わせる黒髪の女性は、縫い物の手を止め立ち上がると、その潤んだ瞳をそっとのぞき込みながら、リタの髪を撫でた。
「グラスはまだ子供なのよ。戦争が起きるということがどういうことか、本当にはわかっていないんだわ」
「そんなの、馬鹿だわ……」
「そうね。男なんてきっと、いくつになってもみんな馬鹿で子供なのよ。だからこそ、女の子はしっかり、地に足をつけて立っていなければいけないわ。ね?」
 女性の穏やかな声と優しい笑顔に、リタは小さく鼻をすすりながら頷いた。

 ◆◇◆

「手厳しいねぇ」
 リタが人のまばらになった食堂へと後かたづけをしに戻るのとほぼ同時に、裏口から軍服を軽く着崩した長身の男が顔を出した。
「俺もその、いくつになっても馬鹿でお子様な男の中に含まれるのかな?」
 悪戯っぽく笑ってそう言いながら、男は少しばかり窮屈そうに首を縮めて戸口をくぐる。
「あら。含まれないとでも思うの?」
 傍に立つ男を見上げて、フィリアは口元に笑みを浮かべた。
「いいや」
 大げさに肩をすくめてみせながら、男は無造作に近くの椅子を引き寄せると、背もたれに向かって椅子に跨る。古い木椅子が小さく軋んだ音を立てた。
「しばらく、留守にするかも知れない」
 ふいに真面目な顔で告げる男の顔をじっと見つめ返して。
「あまり長いと顔忘れるわよ」
 フィリアは軽口を返す。
「それは酷いなぁ。俺はフィリアと過ごすためだけに生きてるようなものだってのに」
「軍一番の腕利きストラス乗りさんが、そんな個人的欲求だけで生きていいのかしら?」
 冗談の中に、言葉にならない思いを込めて。
「俺は、俺にできる最低限で最大限のことをするだけだよ。……俺のために」
 一度だけ目を伏せて、椅子から立ち上がる。
「帰ってきたら、ついでに俺の手袋も縫ってくれよ。ちょっとこの辺が解れかけてるんだ」
 手袋を指さして、少しだけ笑って。
「じゃあ、またな」
 男は軽く手を振ると、窮屈そうに首を曲げて裏口から出ていった。

 ◆◇◆

「行くのか」
 時の重みを感じさせる老人のしわがれた声に、クラウスは振り返ることなく頷く。
「ようやく昔話になった消し炭色の夜明けを再び現実に迎えるのは、俺はごめんです」
 解れかけた手袋を無意識に弄りながら、クラウスは格納庫の中、整備が完了した飛行用重機兵ストラスを見上げる。
「お前の腕ならば失敗することなどないだろうが。……しかし、たとえ成功したとしても、軍はお前を切り捨てるぞ」
「無論、承知の上です」
 あっさりと返すクラウスに、しわがれた声の老人は尚も言葉をかける。
「フィリアには話したのか?」
「……いいえ」
「お前は本当にそれで良いのか?」
 問われて、クラウスは口元だけで笑う。
「俺は本当に、いくつになっても馬鹿で無謀で、きっと、子供なんだろうと思います」
 けれど、――覚悟が鈍るくらいなら、ずっと愚かなままで良い。
 言葉なく目を伏せる老人に心からの敬礼を送り、クラウスはストラスに乗り込んだ。

 ◆◇◆

 平原一面に、黄色い花が揺れている。
 その花に埋もれて、グラスは声を殺して泣いている。憧れのストラス乗り。彼と同じ操縦士になれたことで単純に浮かれていた自分。その愚かさが今はただ悔しくてならなかった。
 リタもきっと食堂で、一人泣いているのだろう。
 さわさわと雪解け水の流れる小川の淵に立ち、ソフィアは老人の話を思い出す。
 ようやく平和を取り戻し、穏やかな時代を送っていたはずのセシルヤードに、再び隣国が闇色の触手を延ばしかけているという事実が判明したとき、軍は新しいストラス操縦士を育成する傍らで、先の大戦で英雄となった男の孫であり、本人もまた類い希なるストラス乗りの才能を持つクラウスに一つの命令を下した。それはひどく無謀で非情で、しかしクラウスの操縦するストラスであれば可能だと思われる作戦であった。
 ――ストラス一機による隣国への奇襲攻撃。
 かくして奇襲は成功し、戦争はうやむやのうちに立ち消えた。そして大方の予想通りクラウスの行動は軍の関知しないこととして処理され、そしてクラウスは――
 クラウスは、もう、戻ってこない。
 風に、黄色い花びらがほろほろととけて舞い、やがて小川へと降り注ぐ。
 白い雲が真っ直ぐに伸びる空を見上げて。
 ソフィアは一人、黒い髪を風になびかせる。
 ――じゃあ、またな。
「またって、いつ……?」
 小さな問いかけもまた、風に舞って、雪解けの川へと流れ消えていった。


... ... ... END.

← Back

[感想フォーム]