[Novels]

【秋と彼女と食欲と俺】

「秋、だなぁ」
 強く香る、枝いっぱいに花を付けた金木犀の見上げて俺が言うと、
「秋、だねぇ」
 公園のベンチに腰掛けて、物憂い気に空を見上げている就職活動中の学生らしき女の人を眺めながら、俺の可愛い彼女であるところの千夏が言った。
 秋、というニュアンスに思うところを感じて千夏に視線を移し、やっぱりかと俺は思う。
「……よだれ出てるぞ」
「ん? あ、ごめんごめん。つい……」
 俺の指摘に、千夏はえへへと笑って、スカートのポケットから取り出したハンカチで口元をぬぐった。
「やっぱ、秋はどうしても、ね」
 言いながら、ぐきゅるる〜とお腹を鳴らす。
 どこの漫画から出てきたのかと尋ねたくなるような、見事な腹の虫だった。
「……なんか、食うか?」
 愛用の腕時計が午後3時を示していることを確認しながら問う。
「平日のこの時間だと、さすがに焼き肉屋は開いてないけどさ」
「そうだねぇ。うっかり衝動的行動に走ってしまいそうだから、抑えが効くうちに、食べようかな」
 答えながらも、千夏の視線は学生から離れない。
「千夏、お前、見過ぎ」
「む」
 左手で目を覆い隠してやると、千夏はふるると首を振った。
「物思いにふけると、味が丸みを帯びるの。ナーバスな心は、少し酸味を含んだ繊細な味わいを生む。……なんというか、やみつきになる味なんだなぁ、これがまた。わかってもらえるかしら?」
「いや、無理」
「まあ、そうだよねぇ」
「だから、よだれ出てる」
「ああごめんね、はしたなくて。駄目だ。早く何か食べよう。肉がいいよ、肉。もう、クズ肉でもなんでもいいから」
 それが得策だろう。俺は千夏と手を繋ぎながら、とりあえず近くの安いハンバーガー屋に向かった。

 俺の可愛い彼女であるところの千夏は食人鬼である。
 詳しいことは本人が教えてくれないのでわからないが、とりあえず、人を食べる「種族」なのだそうだ。つまり、人ではないらしい。
「その割には外見、まんま人だよな?」
「そりゃあもちろん。だって、似てないと捕食できないじゃない?」
 あっさりと返されて言葉につまったことを、昨日のことのように思い出す。
「ええと、それは、つまり、今回の告白も、そういう……?」
 転校してきた初日の放課後に呼び止められ、つきあってくれと言われた俺の返答がそれで。
「うーん。それとこれとは、ちょっと別かなぁ。まあ、確かに美味しそうだと思うのも事実だけど。それ以上に、こう、気になる感じ?」
 実は自分でもよくわからないんだよねと首をかしげたのが千夏だ。
「もしかしたら、ものっすごーく美味しそうだから、そばに置いておきたいという心理かもしれない」
 真顔でそう言われて、正直ちょっと引きつつも。
 それでもつきあうことにしたのは、多分、俺も一目惚れだったからだろうと思う。

「やばいなぁ。エンゲル係数高すぎるよね……私、そろそろ破産しそう」
 そんな千夏は今、ハンバーガー20個とテリヤキバーガー10個とアイスミルク5本を着々と食べ進みながら、俺の前でため息をついている。
 かく言う俺はホットコーヒーだけを目の前において頷く。
「焼き肉食べ放題も、値段馬鹿にならないしな」
 実際俺は、コーヒーしか頼めないほどに貧乏だ。
「でも、食べないとマジでヤバイと思うんだよねぇ……。何てったって、食欲の秋だし」
 難儀なことだ。
「なんで、秋だとそんなにあからさまに飢えるんだ?」
 千夏が転校してきたのは5月。それから半年近く、いわゆる男女交際を行ってきたが、今まで千夏が人を食べたことはないし(あくまで俺の知る限り、ではあるが)、ここまで露骨に食べたいという意思を表に出したこともない。
 ……初めてしたキスの後に、「さすがにちょっと誘惑に駆られちゃった」と舌なめずりをされたり、好奇心と本能の赴くままにのばした舌を噛まれそうになったことは実はあるけれど。所詮、その程度、だ。
「うん……だからさ。アンニュイになるじゃない?」
「アンニュイ?」
「あれ? 使い方間違ってるかな……。ええと、もの悲しくなるじゃない?」
「使い方、間違ってるな。けど、まあいいよ。秋は確かにナイーブになりがちだ」
「ナイーブ! それだ! で、ナーバスになるじゃない?」
「何もカタカナですべてを表現する必要はないと思うんだが……」
 とはいえ、言いたいことはまあわかる。
「……美味しいんだよ」
 しみじみと、千夏はため息混じりにつぶやいた。
 食べたことがあるのか、とか、そういう怖いことは聞かないことが平和の秘訣である。
「たとえるなら、さ」
 最後の一つになったハンバーガーを見つめながら、千夏は言う。
「上質の牛肉をね、もちろん、それだけでも美味しそうなんだけど、でもほら、生だったらまだ、我慢できるじゃない? けど、秋になるとそれが、鉄板の上でじゅーって焼かれる感じになるわけですよ。しかもあちこちで! なんていうのだ、これは、そう、据え膳!」
 断じて、違う。
 が、言いたいことはよくわかった。
「つまり、物思いにふけっている人間は、美味しそうである、と」
「はい」
 素直にこくりと頷かれた。
 それを見て、可愛いなぁと思う俺は、実は結構色々末期だと思う。
「でも、我慢をする訳だ」
「それはもちろん。だって、食べたら転校しないといけなくなっちゃうもん」
 そしたら、別れなきゃいけなくなっちゃう……。
 千夏は上目遣いに俺を見る。なかなかに、そそる視線である。
 食欲と性欲は、似てるかもなぁ。
 ついと目をそらし、ごまかすようにコーヒーを飲む。
「バイト、深夜のシフト増やすよ」
 気づけば、そんな台詞が口から出た。
「え?」
「幸い、うちの店長いい加減だから、高校生でも深夜入れてもらえるしさ。で、まめに焼き肉食い放題に行こうぜ? そしたら、なんとかごまかせるだろ?」
 俺の言葉に、千夏がちょっとだけ顔を赤くする。
 そして、照れをごまかすようにハンバーガーにかぶりついて。
「ありがと……」
 小さくそう言った。

 俺の可愛い彼女であるところの千夏は、食人鬼である。
 けど、けなげな彼女は、俺と一緒に居るために人を食べることを我慢している。
 とても可愛い彼女である。
 多分きっと、俺は将来、彼女に美味しく頂かれてしまうのだろうなぁ。もちろん、文字通りの意味で。
 それもまた良いかもしれないと思う、やっぱり色々末期な俺が居るわけだけど。
 とりあえずしばらくは、俺と千夏の愛すべき日々の為に、これを読んでいる読者の方々にはあまり、不用意に外で物思いにふけらないようにしてもらいたいと、切に願う次第だ。
 だって、どこでいつ千夏が、物思いにふけっているあなたを見て、よだれたらしているかわかったものではないのだから……。
 物思いにふけるのは家の中で。
 ひとつ、よろしく頼みたい。
 俺と千夏の、愛の為に。



おわり


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